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神様のDIYプロジェクト:どっちが元祖かは誰にもわからない!

第一巻第三話 主のアヴァターラ(化身)について

スータ(吟誦詩人)ウグラシュラヴァスは語った。
主は多様な世界を発展させるため、16の構成原理(10のインドリヤ,5つの粗大要素,心)とマハト(大いなる知性)からなるプルシャ(宇宙体)の姿をとった。プルシャが原因の水の上でサマーディ(深い瞑想)に入っている間、臍の池から蓮が生え、その蓮からブラフマー神が現れた。世界はプルシャの身体に重なって存在する。ヨギーたちは瞑想でこの姿を洞察した。主はこの姿(ナーラーヤナ)で、多くのアヴァターラ(化身)を生み、彼らが役割を終えると帰る世界でもある。主が光(ブラフマー神)を放ち、その光の一部(マリーチなど)によって、神々や人間、その他の生物が創造された。

ナーラーヤナはまず、永遠の四人の童子(サナカ兄弟)の姿をとり、次に海に沈んだ地球を救うため、第二の化身でイノシシとなって世界の創造を進めた。第三の化身では天界の聖仙ナーラダとなり、行為からの解放を説くパンチャラートラ(ヴィシュヌ派の文献や儀礼体系)を教えた。第四の化身では、双子のナラとナーラーヤナとしてダルマとその妻の元に降誕し、厳しい苦行を行った。第五の化身では聖仙カピラとなり、プラクリティの性質をサーンキャ哲学として賢者アースリに教えた。第六の化身ではダッタートレーヤとして降誕し、プラフラーダらにアートマンの知識を伝えた。第七の化身ではヤジュニャとしてプラジャーパティの元に降誕し、ヤマ(死と正義を司る神)の父となり、最初のマンヴァンタラ(宇宙が創造と破壊を繰り返す周期)でインドラ神の役割を担った。

第八の化身リシャバデーヴァは、パラマハンサ(全ての束縛を離れた魂)の生き方を示し、第九の化身プリトゥは大地から豊作を生み出した。世界が洪水に呑まれる時、第十の化身は魚の姿でヴァイヴァスワタ・マヌ(人類の指導者)を救い、第十一の化身では亀となり、神々と悪魔が海を攪拌する際にマンダラ山を支えた。第十二の化身ダンワンタリはアムリタの壺を持ち、第十三の化身モーヒニは神々にそれを与えた。第十四の人獅子(ナラシンハ)は悪魔王(ヒラニヤカシプ)を倒し、第十五の矮人(ヴァーマナ)は天国を取り戻し、第十六のパラシュラーマはクシャトリア(王族,戦士階級)を21回滅ぼした。第十七の聖仙ヴィヤーサはヴェーダを分け、第十八のラーマ、第十九、二十のバララーマとクリシュナは地球の重荷を取り除いた。カリ・ユガでは仏陀として降誕し、終末にはカルキとして現れる。

物質的な姿の奥に、さらに微細で非顕現な姿が存在し、知覚することも、聞くこともできない。この微細な身体こそジーヴァ(個別の自我)、または霊魂と呼ばれるもので、微細な霊魂は何度も生まれ変わりを繰り返す。
神理を知る者は、主のマーヤー(真実を覆う幻影,錯覚)が知識(ヴィディヤー)となって働くとき、マーヤーはその働きを停止し、ジーヴァ(個我)はブラフマン(大我,宇宙の根源的存在)と一つになり、アートマンに目覚めることを知っている。主の降誕とその行いは、ヴェーダの奥深く隠された神秘である。

主は遊戯として、宇宙を創造し、維持し、破壊する。しかし、このことには何の執着も持たない。全生物の心に宿り、心と五官を支配しつつも、その対象から離れた存在である。

シュリーマド・バーガヴァタ・プラーナは、神の如き先見者ヴェーダヴィヤーサが編纂し、ヴェーダと対を成し、クリシュナの物語を含んでいる。ヴィヤーサはまず、最も偉大な息子シュカデーヴァに教え、聖シュカはパリークシット王に語った。このプラーナは、地上の主であるクリシュナが去った後に、その代わりに現れたものである。
以上のように語り、ウグラシュラヴァスは聖仙シャウナカたちに「私はシュカデーヴァが語った時に学び、これからあなたたちに智慧を尽くして伝えましょう」と言った。

※※※
おー、ノアの方舟と同じ話が出てきたよ!
どっちがオリジナルかなんて聞こうもんなら、両方が「うちのだよ!」って大騒ぎするのが目に浮かぶよね。
西洋は「いつ誰がどこで何をして、どんな功績を残したか」が重要だけど、インドでは歴史よりも神話や哲学、霊的教訓がメインだから、そもそも比較するのもナンセンスか。しかも、口伝の歴史が長いし、「これ僕が書きました!」なんて自己主張もないから、どっちが先かなんて誰にもわからないかな。
地球の始まりや生命の進化なんて、神様の壮大なDIYプロジェクトにしか見えないし、これを神話として楽しむか、科学的に解釈するかは、その人次第って感じだね。

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