
もう1人の自分
最近、割とフランクに誰とでも話せる表の自分と対照的な、もう1人の自分がいる感覚がある。そしてそれは、自分が真剣になっている時、神経質になっている時、イラついている時に顕在化するということに気づいた。mbtiとも関連性があるらしく、"シャドウタイプ"というらしい。最近16personalitiesをやっても、心理機能診断をやっても、全てintjが結果として出てくる。どうやら自分の本来のタイプであるentpと、intjは鏡像関係にあるらしく、精神に負荷がかかっている状態、また極端にハイになっている時にこのシャドウタイプが表面化するらしい。人間全員に言えるとは思うのだが、去年の10月頃から、極端にイライラすると、妙に完璧主義になり、自分のできなさ加減に腹が立ったり、能力はそれぞれ違うのに他人に高すぎるレベルを求めてしまったり、自分の欲求を通そうとしてしまったり、という部分があった。正直今までもこういうところはあったのだが、だんだんその"もう1人の自分"に対して、嫌悪を抱くようになってきた。短気とかは大人気ないし、何より周りを不快にさせてしまうのが嫌だった。その頃から以前にも増して脳内反省会というか、内省することが多くなった気がする。また、バイトであれだけ上に行きたいとか思っていたのに、いざ昇格すると、どうでもよくなってしまうというか、その必死さに恥ずかしくなってしまう自分が今は存在している。前までは上目指さないと馬鹿だろとか本気で思っていたのに。自分だけでなく他の人も職位が上がったのを見て、この世界は自分中心に回っていると感じていたことに今更気づいた。そのことがすごく恥ずかしくて虚しかった。自分は特別な人間だと自負していたし、そう思いたかった。ただ実際は周りも頑張っているし、ちゃんと仕事をするし、そういう人間が評価されるのは当然だ、ということにようやく気づいた。そしてそれを構造化してしまいどこか冷めている自分が今も存在している。また、本質的には好きな人でも、その人の自己中な面や大人気ない面を見るとすごく俯瞰してしまってある種見下したような目線でその人を見てしまうことが最近ある。別に嫌いなわけではないのだ。自分に良くしてくれるし、褒めてもくれるし、その人自体も良い人だし人間としては好きなのだが、どこか"もったいない"と思ってしまう。正直どっちが本当の自分なのか全くわからない。はっきり言うと今2つの人格が心の中を、脳の中をせめぎ合ってる感覚があってものすごく怖い。
"俺が俺じゃない感覚"と言えば良いのだろうか、人と会ってる時は本来の自分だと思っている外向的な自分でいられたのだが、最近はどうも人と会ってる時にもシャドウが顕在化してる感覚がある。1人でいると尚更可能性に対して柔軟になれなくなり、可能性をどこか狭めてしまっている。実は2年前も似たような感覚はあったのだが、今ほど自分に対して向き合ってこなかったし、知識量も思考に浸った回数も全然違うので、その時は気づけなかった、逃げてきた自己矛盾に気づいてとても苦しい。俺は超目立ちたがり屋で自己顕示欲がとても強い。そんな自分が好きだった。本当に自分のことを主人公だと、恥ずかしげもなく思っていた。ただ最近、そんな自分がすごく恥ずかしいし、キレてる時だけ完璧主義になって理想が叶わない自分のことが凄く嫌いだ。自分は人前に立つのが好きだったし、立って当然の存在だと、選ばれし者だと思い続けていた。しかし、最近は必ずしも自分が中心でいる必要はないと感じている。軸になるやつを助ける、支えてより良い環境を作っていく、という方面にも関心が向くようになっている。これは成長なのか、退化なのか、今の段階では全くわからない。このまま俺は暗くなり続けてしまうかもしれないが、もしこのもう1人の自分を本来の自分に統合することができて周りのためになることを自然にできた時、俺は人間として一つ上のステージに登れる気がする。自分が自分じゃなくなるのがすごく怖い。でも、この心の痛みがあってこそ、人間は成長するのだと思う。2年前逃げたツケがここで回ってきているが、これを乗り越えてみせる。
そのために、どういう時に自分が2人いる感覚を持つのか、より詳細に分析してみたい。