魔娑斗ってどうよ  Ver. 1.2

その時代に生きた人の解釈と大河ドラマの作者の解釈にはかけ離れたものがあるのは周知の事実で、当時の史実は誰も知らないのだから当然だろう。
源頼朝の源氏から北条への変遷がどのように行われたかは『吾妻鏡』を元に現代人の知るところになってはいるが、その吾妻鏡は誰がどのような意図で記されたかによって歴史は修正される。

今、格闘技界では魔娑斗氏の発言が話題に上る事が多い。
最近の彼の発言は彼のスタッフがリサーチした上での発想や発言で、
自分の問題意識や発想ばかりでは無い事を念頭に置く必要がある。彼らがTwitterでネタをパクっているのは僕も何度か経験している。あまりにも露骨にパクってくる。

彼の信念からの言葉ではないからほころびが生じる。
それでも彼は「強かった」からそれが全て、と彼を少ししか知らない若者が勘違いした事を言う。それはちょうどひろゆきのように。雑誌や魔娑斗ビジネスをしている関係者の証言を鵜呑みにして、若者は自分のデータベースにそれを史実としてインプットして安易に判断している。ネット時代の特徴。

今の武尊選手や朝倉未来を見ても、素晴らしい魅力を持った人物である事は間違いない。強さもある。しかし最強やいつも正しいかと言えばそうでもないし、目に余る行動や発言、未熟さも目立つ。全て宗教信者のように盲信するのも幸せの一つの形だから否定はしないが、事実と言うものをもう少し慎重に知って欲しいとも思う。

もちろん、僕が言う真実は僕が見た真実でしかない事は分かっている。
だから、他の人の欠けている要素やパラメータの指摘をする。

魔娑斗に対する認識はその時代に格闘技を見ていた人に共通するものではない。僕は藤原敏男の時代からキックボクシングを見てきた。同じ時代にキックを見た人の見方もそれぞれ異なる。今も昔もテレビ番組や有名人の発言を真に受けて疑わない人は一般的だ。

武尊最強だと言われれば、武尊は誰と戦って最強と言われているのか確認もせず、なんとなくそう思うファンもいるだろう。同じ団体にいた外国人の強豪とはことごとく対戦が組まれなかった事実は知らない。僕は武尊が彼ら強豪と戦えば勝つ可能性はあっても、負ける可能性もあったと思っている。しかしあの団体の代表の考えなのか、それは実現しなかった。だから当然僕は最強などとは思っていない。最強は作られたものだから。

プロ格闘技は儲けなければ存在できないから、スターを作る事は当然の仕事だろう。その作られたスターが魔娑斗であり、武尊だったと言う事。
ただし武尊については魔娑斗とは少し状況が違う事は十分に触れておかなければならない。

武尊は会社の意向に逆らい、那須川天心に敗北した。武尊は魔娑斗とは違う。会社がかたくなに拒否したマッチメイクに対して歯向かった。そしてファンの願いを叶えた。悪条件と知ってファンとの約束を守った。そして僕が願ってやまなかったロッタン戦も実現してくれる。彼ほどのキックボクサーは存在しない。たぶんこれからも出てこないだろう。

現在このように考えている僕が、当時魔娑斗に対してどのような感覚で見ていたかを率直に言おう。現在の見方ですら他の方と異なるのは承知している。だから当時の僕の見方が正しいなんて思っているのではない事を理解していただきたい。単に僕の備忘録と思っていただきたい。

魔娑斗が出てきた頃はぱっとした選手ではなかったと記憶している。ランキングの上位には上がってきたが、中堅選手の上位程度だったように思う。とにかくそれほど目立つ選手ではなかった。

小比類巻貴之に敗北したりしながら、オワリとの対戦を拒否しキックボクシングを去った。その後は不可解な判定やミックスルールなどがあった事などはWikipediaを参照いただきたい。角田師範は度々話題になった人物。

同じ頃活躍していたK-1の武蔵氏によると、魔娑斗は石井館長から破格の待遇を受けていたと動画で語っていたのを視たファンも多いだろう。スター武尊が新生K-1矢吹満氏に作られたように、魔娑斗は石井和義氏や谷川貞治氏によって作られたスターだった。

当時はアンディ・フグがスターとして活躍した頃でもあった。僕は極真の大会で彼を実際に見たが、巨大な外国人選手の中にあっては小柄な彼が正道会館の餌食からスターになるまでを観ていた。あの頃は顔面有りで極真が正道会館の軍門に下る屈辱的なストーリーを嫌と言うほど見せられた。

アンディ・フグの人気はヘビー級のスター、空手スターにする事を石井館長が決定したから。小さかった体が信じられないくらいに大きくなり、彼は期待通り頂点を極め、そして死んだ。今ならK-1はドーピングチェックをしていたのでしょうかと、必ず問うであろう。

アンディ・フグが活躍した2000年頃を前後して魔娑斗は強くなりスターになった。最近では木村ミノルがチェックに引っかかり、ドーピングを認めた。その木村ミノルもボクシングをベースにした確かな技術と熱心な練習で連続KO勝利を誇っていた。決して薬だけでは強くはなれない。同様に魔娑斗も人一倍練習して強くなって行った。それはアンディ・フグも木村ミノルも同じである。木村の言によると薬で強くなるとモチベーションが高くなる。だから練習も一生懸命できたと言う。これも薬のおかげと言う事ができる。

よく、今の人は「それでも魔娑斗は本物だったから」、そういう意見を多く見かける。確かにそのように見えるだろう。だが物事はそう単純なものではない。木村ミノルの件も、朝倉未来がケラモフに対して疑いを持った事からああなった。あれが無ければ木村ミノルも魔娑斗と同様に称賛された可能性がある。十年後のファンは伝説として木村を称賛しただろう。

ドーピングの件は当時チェックしていなかったので、外国人選手はほとんどやっていただろう。他のスポーツで行われているのに、ルールで禁止していないのにやっていないと考えるほうが不自然であろう。アンディ・フグは自分の意思ではないと思うが、多くの選手がやらなければあの世界で生きていけない。トップであれば、自分が勝たなければジャンル自体が保たないとの思いもあっただろう。

最近、魔娑斗と城戸選手のコラボ動画があった。魔娑斗はドーピングの話になると歯切れが悪いように感じた。逆に木村ミノルが活躍していた当時は絶賛ではないにしろ、称賛していた。この微妙な感覚を分かっていただけるだろうか。(余談だが、武居選手にも驚いていた。)

もう一つは魔娑斗の引退。これは多くの考察があるし、彼自身が彼のチャンネルで後悔を語っていたから僕の見方には自信がある。あの時の判断はビジネス的に考えれば、現状を鑑みて成功だったと言える。明らかに負けが濃厚なペトロシアンとやる前に引退すれば商品価値を落とさずにその後のビジネスの展望が開けると言うものだっただろう。

僕はネット時代になって彼がこの事を悔やんでいる事を告白している場面も視た。ペトロシアンもそろそろ引退が見えてきたが、まだ現役をやっている。あの時はやらせたくないスタッフもいただろうが、あれは魔娑斗がまさに「逃げた」と僕は思っている。トライアスロンやるくらいならペトロシアンのようにまだ十分戦えたはず。しかしなぜあそこで引退したか。

得るものがあれば失うものがある。金銭的に成功しても人生が幸せになるとは限らない。

分かりますよ、頭を打たれる商売なのだから早めに引退したい気持ちは。


ただ事実は「ペトロシアンから逃げた」

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