玉手箱と沢村忠
これも日本人なら知らない人はほぼいない。
開けてしまうと煙がモクモクと出てきて浦島太郎が歳を取ってしまう箱、
なぜ「玉手箱」と言うのか考えた事がありますか?
桃太郎にしてもかぐや姫にしても、この浦島太郎にしても、案外日本古代史の正史である「記紀」に書かれていない重要な事を伝えるものなのではないか。正史である「日本書紀」には「日本」の呼称の起源も卑弥呼も倭の五王についても記録されていません。
前提として、小説やおとぎ話ならば誰も文句を言わない。しかしそれが正史だったりノンフィクションだと言えば、そうは行かない。そうならば真実はフィクションやおとぎ話として伝えれば厳しい検閲を避ける事ができるかもしれない。ノンフィクションでは利害がある事もフィクションなら自由に伝えられる可能性がある。
真実を書けないならノンフィクションに価値は無い。『沢村忠に真空を飛ばせた男』と言うノンフィクション本がある。沢村忠は今の那須川天心や武尊よりも人気があった国民的スターキックボクサーでした。格闘技や芸能興行とやくざや右翼史を伝える面白い本ではあるのですが、肝心の沢村忠本人の証言を得る事に失敗している。だからだと思うが、苦し紛れにタイトルは真空を飛ばせたプロモーターの野口修が主役となるようなものになっている。本来なら『真空を飛んだ男』か『真空を飛んだ沢村忠』だったはず。この本は国民的キックボクシングのスターだった沢村忠が実は作られたスターだった事を構造から明かすものなっている。本人がまだ存命中だったのだから是非本人の証言を得て出版して欲しかった。本人が真実を口にしなくても、それに肉薄する証言を得て欲しかった。これをノンフィクションとしてよかったのだろうか。沢村さんにも言いたくても言えない事があったのではないでしょうか。今、草葉の陰で彼はどんな事を思っているのでしょうか。
「玉手箱」を題材にしたのは、「玉手箱」ってなんだろうと思ったから。乙姫様のお土産の玉を入れる宝石箱のようなものだろうと誰でも考えるでしょう。しかし開けると煙が出てきて、たちまち歳をとってしまうと言うのは何の暗喩なのだろうか。言えない事はノンフィクションではなくフィクションで残す、そして含意、暗示、示唆、暗喩、隠喩と言ったものを使いながら真実を伝える。表面的な理解では何も見えない。
半世紀近く何の手がかりも得ず、考えもせず僕は今日に至った。
何年前だろうか、たぶんここ十年くらいの事だと思う。香川県坂出市の府中湖近くに鷲ノ山と言う山がある。その麓には今でも石材屋があり、古墳時代には石棺に用いる石材の産地でした。石切場の近くまで行き、近所にある香川県埋蔵文化センターで石棺のレプリカを見た事がある。
ここの石材が大阪府柏原市の玉手山古墳群の古墳の石棺に使用されてると言う。船で神戸の前を通り、大阪の大和川に入るのはそれほどの事ではなかったと思うが、玉手山の近くには二上山と言う石棺材の産地があるのでなぜわざわざ四国から取り寄せたのかと言う疑問が湧いた。因みに鷲ノ山付近も柏原と言う地名になっている。これは偶然ではなさそう。
調べてみると兵庫高砂の竜山や、九州熊本の宇土方面からも運んでいる。そこでGoogleMAPに石材産地と古墳をポイントしてみると産地と地域の相関性が見えてくる。
石材の産地と使用された古墳を見てみると、阿蘇ピンク石は四国、中国、近畿の広範囲に使用されており、近畿地方も古い時代のもの。邪馬台国の東遷を思わせる。讃岐鷲ノ山石は初期の古墳に用いられているものの、限られた範囲で使用されている。邪馬台国の勢力が、その後の竜山石を使用した河内大古墳の勢力に敵対したかのように見える。そして古墳時代の終焉頃には地元二上山産の石材を使用した一派が奈良盆地をくまなく押さえているように見える。
鷲ノ山石を使用した玉手山古墳群の場所は古い奈良盆地の勢力が河内勢力に推移したかのようにそこで留まっている。竜山石の河内勢力は奈良盆地に侵攻している。奈良盆地ではその竜山石の勢力に取って代わって二上山の勢力が台頭したのか。
浦島太郎は九州から瀬戸内の竜宮城を経由して大和まで行き、玉手山の所で河内大古墳の王朝に取って代わられた。その後は大和地方での百済と新羅の勢力争いになった様子が石材の産地から伺えるような気がする。
玉手箱の開封は、まほろばの記憶の終焉を暗喩を用いて表現したのかもしれません。
飛べるはずのない真空を沢村忠は高度な格闘ショーで飛んだのでした。
「真空飛び膝蹴り」とは上手い命名をしたものです。
お伽噺には深い理由がある。