身近すぎて、大切だって気づかなくて、ごめん。
歯に興味なんて、なかった。
歯が、あまりに身近な存在すぎたのかもしれない。
数年前の私は、歯を意識して生活することがなかった。なければ絶対に困るのに、あるのが当たり前。だから、歯に感謝することもないし、大切にするなんてことを考えたりもしなかった。
さながら私は、隣の席の女の子が自分に好意を寄せてくれているのに、その女の子の魅力に気づかない男の子のようなものだった。その男の子は身近な存在すぎるその女の子の魅力に全く気づかないどころか、むしろ邪険に扱ったうえに、近所の美人なお姉さんを見つけては鼻の下を伸ばしている。歯にとって私は、そんな無神経な男の子のような存在だったに違いない。
今なら、分かる。歯は大事だ。身近な存在こそ大切にすべき。だから私は、今こそカツオに伝えたい。
花沢さんはいい女だぞ、と。
そこまで歯に無神経だった私が、歯に関心を抱くことになったのは、実際に一本の歯が無神経になったことから始まる。
要は、虫歯になり、神経を抜く羽目になったのだ。
ある日、私は歯に違和感を感じた。
でも、私は痛みを無視し続けた。はじめは、無視できる程度の痛みだったから──。
まるで他のことを考えるふりをして、宿題や花沢さんを無視し続けるカツオのように、私は痛みを無視し続けた。
しかし、この結果、波平のカミナリのような衝撃が、私の歯に落ちることとなった。私はしぶしぶ歯医者に行き、治療を受けることにした。治療を受ける際に記入した問診票に、以下のような項目があった。
この選択が人生の分岐点となることに、当時の私は、まだ気づいていなかった。
それに私は、そもそも痛みがある歯以外に、私に虫歯があるとは考えていなかった。そんな私が選んだのは、「虫歯を全て治療する」という選択肢だった。
診察台に乗り、口を開ける。無防備だし間抜けだし、なんだか嫌だなぁと思う。でも、虫歯を治してもらうためだと、無抵抗のまま私は口を開け続けた。
「もうちょっと、口、開けてくれる? ああ、そんな感じ。そのままそのまま──」
先生の節くれた太い指が、私の口をこじ開けた。ゴム素材の手袋が、口腔内に触れる感覚。鼻の息を止めても、ふとした瞬間に漂う薬品の臭い。
これだから歯医者は嫌なんだよ。早く終わってくれ、と思いながら、私は腹の上に置いた少し指先の冷たくなった手を合わせた。八百万いると言われる神様のうち誰か一人にでも、早く終われという私の願いが届きますようにと祈りながら、冷たい天井をじっと眺め続ける。
「あぁ、これか〜。なるほどね〜。これは神経、抜かなきゃだね。……おっと、ここにもある」
「ほえ。ほんはにはるんへふか?」
(え? そんなにあるんですか?)
開けっぱなしの口で、私は間の抜けた言葉を吐いた。そして、起き上がっていいよと言われ、椅子の横に置かれている紙コップの水でうがいをし、その水も口から吐いた。
「僕はね、虫歯を見つけるのが得意なんだよ」
向き直った時に見えた先生の顔が、ひどく得意げに見えた。そして同時に、私は先生の恐ろしいほどの虫歯への執着を感じた。なぜ私は、「全ての虫歯を治療する」を選んだのだろうか。一体、完治までにどのくらい通わなければならないのだろうか。治療費もかさめば、時間も取られる。しかし、虫歯を放置するわけにもいかないし……。
先生に気づかれないように小さくため息を吐くと、私は全ての虫歯を治療する覚悟を決めた。そして再び、診察台に横たわった。
節くれた指が、私の口をこじ開ける。ああやだなぁ、なんて思っていても仕方がない。私はまな板の上の鯉になった。不愉快な機械の音をBGMに、ひたすら苦行に耐え抜いた。そして、そのBGMの合間を縫って、野太い穏やかな声が、私に話しかけてくる。
「このあたりに虫歯ができやすいんだよね。僕に言わせれば、虫歯がない人なんて、この世にいないと思うんだ」
その声色は、どことなく愉しげに聞こえ、私の背筋に悪寒が走った。そして私は、数ヶ月の治療の後、定期検診以外では二度と歯医者にはお世話にならないと誓い、歯を大切にしようと心に決めた。
🦷 はみがきのアタック回数
私は、一日に三度、はみがきをすることにした。
起床後、昼食後、就寝前の三回だ。
電動歯ブラシも購入。先生は電動歯ブラシは必要ないと言っていたが、私は、はみがきが苦手でちゃんと磨ける自信がない。そにため電動歯ブラシに、私の不甲斐なさをカバーしてもらうことにした。
歯医者で教わったのは、歯だけではなく、歯茎も磨く磨き方だった。
歯茎が、キュッと締まっているのが良い歯茎らしく、歯と歯の付け根を磨くようになった。この磨き方をすると、たまに、ギョッとすることがある。
歯ブラシが真っ赤に染まるのだ。血。歯茎から流血。
思わず、「うげっ」となるが、気にせず磨いていいとも教わった。繰り返し磨き続けると、次第に出血がなくなる。「しっかり磨いて、歯茎の血を出すことも歯茎の健康には必要」だと教えてもらったので、私は出血を恐れることなく、勇気をもって磨くことができている。
食後にしっかりと歯磨きをすると、その後の会話でも、安心して会話ができる。
歯磨きをしていないと、稀に歯の隙間に「食べかす」が挟まったままになっている。誰かと会話をしているその時は、もちろん気づかないのだが、あとで鏡を見た時に、歯に食べかすが挟まっていることに気づき、ガックリと肩を落とす結果になったりもする。
挟まっていたのが、白胡麻なら、セーフ。
黒胡麻なら、アウトよりのセーフか?
海苔がお歯黒になっていたら、それはもちろん逆の意味で大当たりだろう、と思ったりもするが、そんなコントなことは当然起きず、食べかすに気づいた私は、ああ、なんで歯磨きをしなかったんだろう、とネチネチ後悔をしたりもしたものだ。
しかし、今はそんなことはない。
歯磨きをちゃんとして、遠慮がちに歯を隠しながら会話をすることもなく、むしろのどち◯こまで見せてもな大丈夫なくらい、大きな口を開けて笑うことができている。
笑顔が溢れる生活。
これも間違いなく、歯磨きの効用だと思う。
🦷 フロスの効果的な使い方
私は、フロスというものを、これまで使ったことがなかった。
いわゆる、糸ようじと呼ばれているものだ。
初めて使った時、私は困惑した。フロスをどのように使えばいいのかが全くわからなかったのだ。使い方はもちろん分かるが、手の動かし方が難しい。それに、歯と歯の間に隙間なんかないように見えるのに、そこに糸を差し込む勇気もなかった。歯茎を傷つけそうだし、ギコギコとノコギリで丸太を切るように、歯茎を傷つけずに汚れを掻き出すテクニックもない。
けれど、心配は皆無だった。
何度もフロスを使っていくうちに、私はフロスの使い方を覚えていった。いろんな種類のフロスを試してみたが、お気に入りは、このタイプ↓
最初は、子ども用の糸が柔らかいものから試していき、徐々に今のタイプに移行していった。使い捨てで細くて大量に入っているものが使いやすい。糸がちぎれると、その隙間が虫歯になっている可能性があると教えてもらったので、ひっかかりがあると「怪しいな……」と思うようになった。
当初は歯みがきの仕上げとしてフロスを使っていたが、歯を磨く前にフロスをしておくといいという情報を仕入れ、最近は歯を磨く前にフロスを使っている。確かに、こちらの方が歯がすっきりする。汚れが取れた状態で歯を磨けるので、磨き残しが減った。
それに、虫歯を防ぐと言われるフッ素が、歯の隙間にも行き渡っている感じがして、歯磨きをやった感も出てくる。
フロスは私のテクニックではどうにもならないところをカバーしてくれる、強い味方だ。
🦷 仕上げは、はみがき粉。
歯みがきの仕方を覚えた私は、はみがき粉が気になりはじめた。
実際は、粉じゃないので「はみがき粉」ではなく「練り歯磨き」が正しいのかもしれない。しかし、我が家では「はみ⭐︎がき子」と呼んでいるので(こんな名前では呼んでいない)、ここでははみがき粉と呼ばせていただくことにする。
正直なところ、はみがき粉なんて泡が立てば、どれでも一緒だろ、と私は思っていた。安いなら安いほうがいいじゃないか、と。しかし、はみがき粉にも色々種類がある。何が違うのだろうと気になり始めた私は、インターネットの海へダイブし、嘘か誠かわからない情報を拾い集めることにした。
調べてみると、どうも一般的に、はみがき粉には「研磨剤」が使われているものがあるということがわかった。その研磨剤を使って、汚れを落とすということらしい。研磨剤を使うということは、すなわち歯のエナメル質も削られる。詰まるところ、研磨剤を使って磨くと、虫歯になりやすく、歯が傷みやすいらしいと書かれてあった。
ほぇ〜。そうなんか。
研磨剤がいいのか悪いのかはよくわからないけど、飲み込みはしなくても、はみがき粉は口に入れるもの。はみがき粉が高いと言っても、べらぼうに高いわけではない。私は、せっかくだからと、良いものを買うことにした。
今のお気に入りは、これ。
これを使い始めてから、妹に言われた。
「姉ちゃん、歯がキレイになったね」
一瞬、「汚かったんかい!」と思ったけど、やっぱりちゃんと磨けてなかったんだろうな、と改めて思った。キレイになったと褒められて、すごく嬉しかった。それに、ちゃんとケアできているという満足感も得られることができた。
🦷 歯は、増やすことのできない財産である。
これまで、私の歯に関する思い出を語ってきたが、歯で思い出すのは、自分のことだけではない。
それは、夫の祖母の葬儀の後の出来事だ。
火葬後、遺骨を拾う場面。
「うわ~。さすがばあちゃんやね。歯がキレイに残っとる」
夫のおばあちゃんの歯は自前で、火葬後もしっかりと歯が残っていた。私は片隅でその様子を眺めながら、歯は燃えないんだと驚いたことを覚えている。
おばあちゃんはとても元気な方で、どんな時でも食に貪欲で、美味しく食事を摂る方だったらしい。最後は病気で亡くなったが、いくつになっても肉を食べ、病に臥した時も元気に食事をしていたとのことだった。孫がばあちゃんの棺に「ばあちゃんが喜ぶから、大好きなピザを入れよう」と、葬祭場にピザのデリバリーをして、デリバリーされたピザをそのまま棺に入れていたのは、忘れられない思い出だ。
私も食べることが大好きなので、おばあちゃんの食べっぷりが、すごく羨ましいと思った。もちろん、今はきっと技術が進んでいるだろうから、入れ歯でも違和感がないのかもしれない。しかし、入れ歯だと食事の味が変わるとも聞く。自前の歯で食べたいものを美味しく食べ、最期まで生きるというのは、これ以上ないくらいの憧れに思えた。
そのためには、今ある歯を大切にしなければならないということに、私は改めて気づいたのだ。
歯は、財産だと思う。
替えの効かない、貴重な宝物だ。
歯を大事にすると決めてから、私には虫歯ができていない。もしかすると、虫歯を見つけることが得意な先生が虫歯探しを始めてしまえば、ひっそりと隠れていた虫歯が見つかってしまうかもしれないけれど。
歯という財産を増やすことはできないが、これ以上、減らすことのないよう努力はしていきたい。そして、いつも笑顔で美味しく食事ができるように、これからも歯を大事にしていこうと思う。