今宵も月が綺麗ですね
ちょっと思い出した話があったから、ふと思いついて書いたのだけれども、あっと思って今日ベランダに行ってみたら月が出ていなかった。なので、雰囲気満月見ているような気持ちで読んでもらえるととても嬉しい。※画像はお借りしたものです。
日中は少し暑いんだけど、陽が傾いてやがて夜になって、少しだけ開けて置いた窓の隙間から思いがけずひんやりとした風がそよいでくるような瞬間が好きだ。
月が出ているとなおさらいい。
風の強い日には、にわかに浮かんでいたわずかな雲が抵抗もなく流されていく。その弱々しい朧を身にまとって優しい光をこちらに向けるのを、ベランダからずっと眺めていることができる。
『I love you.』を訳すとき、愛していると訳さずに月が綺麗ですねと訳しなさいと夏目漱石が言ったとされるエピソードはとても日本人らしく、奥ゆかしさを感じる。
というわけで、月あかりのエピソードを一つ。
あれはまだ子供が小さくて、実家からの帰り道、タクシーを使いなさいと父が上の子の手を引き、ベビーカーを押してくれて、夫婦と並んで歩いてタクシーの通る大通りまで歩いた時の事。
あの日はぽっかりと真ん丸な月が浮かんでいた。
綺麗だなぁと思いながら見ていると、旦那は落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「どうしたん?」
「いや、いつもこの辺にいた猫たちが今日はおらへんねん」
彼は無類の猫好きである。どれくらい好きかというと、上の子を妊娠中に必要なベビーベッドやら何やらをネットで見ているとき、気が付いたらキャットタワーを見てはしゃぐくらいの溺愛っぷりだ。ちなみにうちでは飼っておらず、旦那の実家で一匹飼われている。
「何度かさるなしの実家に来てるときに、この辺チェックしながら歩いててん。大体黒いのとブチとサバ猫と白いのがおるんやけど・・・」
そんなおったっけ。私は動物は全般好きだけど、道のわきや隅にいる猫のことまでチェックはしない。
「・・・猫集会にいってるんかもな」
「それなんか聞いたことある。なんか、一か所に猫が集まる日やろ?集まって何するん?」
「集まるだけ」
なんだそれ。書いていて疑問だったからちょっとググってきたけど、本当に猫集会が行われる理由については今現在も不明らしい。
「しかしおかしいな。猫がいなさすぎる」
あまりにしつこく猫を探し続けるので、パッと思いついたことを言ってみた。
「アレちゃうん。”人間には見つかってはいけない猫集会”」
「あぁ、ガキ使の」
「その猫バージョン。猫集会を開く長老的な猫が毎回いろんなシチュエーションを決めるんよ。で、失敗したら顔面猫パンチ」
「なにそれww」
「≪ブチあいつ餌もらいよるぞ≫
≪長老!長老ぉー!!≫
デデーン ブチ猫ーアウトーシパパパァン(猫パンチ)!!・・・みたいな」
「ブチ猫www」
「≪長老!俺ちゃいます!!≫
≪あほかお前ニャオ~ン♪言うとったやないけ≫
≪長老ぉ!!信じてください!≫
≪ふぅむ・・・人間から餌もろたんは君だけか?≫
≪・・・・白猫もいてました≫
≪ブチお前チクんなや!!≫
デデーン 白猫ー アウトー シパパパァン‼」
「じゃあサバ猫はどうやろう」
「≪僕ねぇとめたんですよ。あかんで、長老に見つかったら猫パンチやでって。でもブチと白がゴロゴロ喉鳴らしてね≫
≪喉までならしよったんかお前ら≫
≪いや、違っ、長老ぉ!!≫
≪サバお前何言うとんねん!ゴルァサバ!!≫
デデーン ブチ猫、白猫 アウトー シパパパァン」
「まだ黒猫が出てきてないで」
「黒猫はその様子を怯えながら耳寝かして見てる」
一度スイッチが入るとつらつら言えるようになったので、たまに家族で外を歩いているときに見かけた動物のアテレコをする遊びをしている。
私は旦那に”愛している”と言ったことがない。旦那も私に”愛しているよ”とは言わない。そしておそらく、これからもその言葉が日常生活の中から出てくることは、たぶんない。
でも、ごく当たり前に過ごしている日常の中に、ほんの少し、雰囲気や態度に”月が綺麗だね”は宿る。
月が綺麗だよ、というと彼はなんていうだろう。
「そんなことよりこの動画見てめっちゃ猫可愛い」
そんな返事が返ってきそうだ。昔ちょっとだけはやった、
四つの血液型が居酒屋に行き、唐揚げを注文した時に取る行動でAB型だけが斜め右上の行動をするやつみたいに。
因みに彼はAB型だ。