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「社会に教師はいないから」日記|小野寺

働くのが億劫な時、では何がしたいのか、とよく自分に問いかける。本が読みたい?酒が飲みたい?漫画が読みたい?……考えて、結局「仕事が終わった自分になりたい」という答えが見つかる。だから、観念してやるしかない。



8月のはじめ4日はかなり調子が良かった。1日から、Xとpixivを自分に禁じて、夜はすぐさまベッドに入るようにした。するとすこぶる快調!日中には来月に控えたなんちゃって留学(2週間。もはや旅行だ)のための勉強も進められて、偉〜〜〜!私は自分のなすべきことをなしている自分が大好き!いえーい!などと思っていた。毎日寝る前にXやpixivでボーイズラブに触れていた時間のかわりに、1冊だけBLコミックを読むことを自分に許可した。1日、2日は良かった。3日目に読んだシリーズが面白すぎた。何度もすり切れるくらい読んだ本なのに、1冊目を読む前から「多分1冊じゃ止まらない」と分かっていた。一気に6冊読破して、「あ〜〜〜〜〜このために生きてる!」と思って全身鳥肌に包まれて、それでもなんとか眠った。

4日目、昨日の鳥肌の快感を思い返してとうとうpixivを開いてしまった。なんでこんなにボーイズラブが面白いのか、全然意味がわからない、といつも思うけれどこれ以上に楽しいこともそうそうない。「いつもの私だ……」と思った。起きたら喉が痛かった。病院に行くほどでもない風邪が薄ら続いて、私がこれを書いている6日現在も、身体が鈍くて厚い膜に覆われたような不快感を薬を飲んでなんとかごまかし、唾飲むたびに痛む喉を意識的に無視している。いきなりボーイズラブを絶ったから、身体がびっくりしたのかもしれない。笑ってほしいところですが。うーん。あんまり面白くは、ない。

なんでもHSPのせいにするのは良くないと思うが、基本的に何にかんしても良くも悪くも感度が高いので「好き」に心の針が触れるとそれのことしか考えられなくなる。「好き」なことは好きだけれど、「好き」をあらわにする自分はそんなに好きじゃない。なすべきことを投げ打ってでも、それをしてしまうからだ。自分が怖い。この世に好きなことはたくさんあるけれど、好きなことばかりしている自分は好きじゃない。だってこの世は等価交換で、努力と勝利の先に味わう美酒しか旨くない。でもモノゴトで溢れた現代には幸か不幸か、何もしなくても、それがうまいかどうかは別として酒にありつけるシステムになっていて、普通に不親切である。ニコニコ酒をすすっていたら、いつの間にか酒をすすることしかできなくなる。そこら辺はまあ資本主義、社会にお優しい教師はいない。

かの有名な「カイジ」シリーズのスピンオフ「上京生活録イチジョウ」という漫画がある。作品の中で本作の主人公・一条は、板橋区大山のアパートで同居している後輩の村上がニートになってしまった際に「半身……!」と心中でなじる。

「あのバカ……半身だ……!」
「社会に対して半身……!」
「働くということに対して半身……!」
「躓いてんじゃねーよ……!こんなつまんねーところで……!」

いやあ、まさにその通り……。私は体調を崩して意識が朦朧とする中で、自分がいかに半身であるかを痛感していた。ボーイズラブも漫画も、多感な時期から今に至るまで、私の良き友人で理解者で指導者だった。それを、選びもせず受動的に、手慰みに、現実から逃れたくて見るのは絶対に違う。これを書き終えたら、気持ちがリセットされてきちんと労働と向き合えそうな気がする。書かなくてもスイッチくらい入れられるようになれ……っ!という話なのだが。



それから最後に、私はボーイズラブ(=恋愛・性愛関係を含む)が好きだが大前提としてボーイズリレーションシップ(及びヒューマンリレーションシップ)が大好きなので、切なくてほろりと泣けるギャグ漫画「上京生活録イチジョウ」の主人公・一条と同居人・村上の関係性には、脳が焼き切れるくらいに萌え狂っています。


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