叔母の死
何年前だったか、もう10年以上前の話になるのかもしれない。
父親の姉、叔母が亡くなった時のことだ。
死因が何だったのかは覚えていない。
心不全か何かだろう。
一人道端を歩いていて突然倒れて絶命したらしい。
死後、叔母の独居アパートの整理をしなければないということで、それぞれ仕事を終えて手空きになったウチの家族がそのアパートに向かった。
部屋をふた部屋借りていて、一つの部屋は猫屋敷状態であり、完全な汚部屋であった。
叔母が生活していた部屋の整理は難なく終わったが、猫屋敷である汚部屋の片付けは難航した。
猫の汚物と叔母が溜め込んでいた荷物で一杯で、室内の悪臭とヘドロ化した新聞紙や糞尿で気を失いそうになった。
そのゴミ屋敷の箪笥の引き出しからはさまざまなものが発見された。まさに叔母が生きていたこれまでの歴史がすべてあったわけだが、それらはすべてゴミ袋の中に投げ込まれた。
叔母の遺品の中には、たとえ時効とはいえ、ここに記すことが出来ないようなものが多数出てきた。
安易にゴミ袋に入れることが出来ないようなブツもあり、それは密かに処分した。
その時、なんともいえないムナシサを感じた。
人はいつ突然死するか分からない。
それを思うと物を残すことの無意味さを思った。
必要以上に物を遺しておくと、それを処分するのに大変な労力を要するので、人に迷惑をかけることになる。
それを痛感して、私は早速身辺整理を始めた。
いわゆる断捨離というやつに近い。
手始めに写真や日誌や各種書類を次々に廃棄した。
思い出の品と呼べるものも廃棄した。
どんなに自分にとって思い入れのある物でも他人にとっては単なるゴミになるのだと、叔母の遺品整理をして思い知らされたからだ。
思い出は記憶の中だけにあれば良い。
そうして気がつくと、自分の身の回りには生活必需品の他は書籍ぐらいしか残らなかった。
それにより余計に虚しくなったのは言うまでもない。