ゴー宣道場の最初期から参加していた古参門下生の女性がほとんど言いがかりに近い冤罪で運営から詰められ、遂には追放されるというその時に唯一異議申し立てをした「とーほくどー」と名乗るおっさんがいた。
彼は小林よしのりの政治的主張(皇統女系容認・改憲・反原発など)に賛同し、宮城県在住である彼は東北地方での道場開催に奔走するぐらいには熱心な小林シンパであった。
しかし、だからといって盲目的に小林の命令に従うわけではなく、その発言や振る舞いのなかで賛同できるものは全面的に支持するが、疑問点がある場合にはしっかりと指摘し、納得いくまで議論すべきであると考えていたのだろう。
時浦兼がマトモな説明もせず、女性門下生が否定しているにも関わらず一方的に断罪しようとしていることに率直に疑義を呈した。
この率直なド正論に対して、時浦兼はトンチンカンで論理性皆無のマヌケな状況証拠もどきを書いたことは前回の記事で紹介した。
ハタから見てその時浦の珍妙な投稿では弱いと焦ったのか、それとも小林よしのり(及び時浦兼)を疑うことを決してしてはいけないし自分は絶対にしないという殉教精神からなのかは知らないが、道場運営幹部の古参門下生ケロ坊(仮名)が、いきなり横槍を入れてきた。
ゴー宣道場古参門下生にして現運営幹部のケロ坊(仮名)の嫌味くさい単なる因縁について、小林よしのりはブログで次のように称賛する。
本人が否定しているということは冤罪の恐れがある案件であるから丁寧な調査が必要であると訴える人(とーほくどーさん)のことを「ゴシップ好き」などと印象操作をして軽んじ、論理のかけらもないヤカラの因縁みたいな駄文を垂れ流す男(ケロ坊)のことは論客と呼んで持て囃す小林よしのりのみじめったらしい精神性には反吐が出る。
普段、投稿を控えていた人であったが、さすがに冤罪の可能性がある事案を目の当たりにしたら看過出来ないというのは至極真っ当な正義感であろう。そこに何の違和感も覚えない。
しかしひたすら小林よしのりを盲信する馬鹿の立場に立てば、それが違和感になるわけだ。
無辜の古参が濡れ衣を着せられネットリンチに遭っているのを目前に、巻き添えを食ってはたらまんから知らん顔をしようと思えば出来たし、ほとんどの奴らはそうして見て見ぬふりするなか、唯一とーほくどーさんだけが異議申し立てをしたのだ。
その勇気ある方に向かって、ゲロ以下の匂いがプンプンするケロ坊は「ゴシップ好き」などと揶揄し、立証責任を求めたことに対して「民主主義の病い」などと因縁を吹っかけるのだからどうしようもない。
そんなどうしようもないヤカラの因縁について、本来ならば運営だけではなく、他の参加者からも批判の声が挙がるべきだろうに、驚くなかれ、唯一真っ当な主張をしているとーほくどーさんの方に集中砲火を浴びせるのだから、ゴー宣道場門下生の異常性はまさにカルト信仰のそれと寸分の違いもない。
ゴー宣道場運営幹部ケロ坊は私のブログ記事について、「件の気持ち悪いアンチのブログのことは知っているのでしょうか?」と書いているが、ゴー宣道場の連中はこちらの批判に対して一切反論せずにひたすら逃げ回り、そのくせにクローズの場所で「気持ち悪いアンチのブログ」などと陰口を叩いている。
私はオープンな場で批評をし、反論も抗議もウェルカムというスタンスであるというのに、こちらに直接向かって来ることもなく仲間内の閉じたタコツボ内で陰口を叩いてニヤついているゴー宣界隈の連中、果たして「気持ち悪い」のはどちらなのだろうか。
更にケロ坊は今回の案件とはまったく関係ない事案を持ち出してきて、目の前の冤罪から目を逸らさせようとするのだから卑劣が過ぎる。
そんな卑劣漢を論客などと持ち上げる小林よしのりの薄っぺらい小悪党しぐさを見てなお、シンパは信仰をやめないのだから救いようがない。
ここから先のメーリングリストのやりとりはとても正視するに堪えないのだが、絵に描いたようなカルト集団によるリンチがそこにはあるので、教訓として残しておく価値はあるだろう。
一読して虫唾が走ったのは私だけではないだろう。
どういう教育を受けたら、このような歪み切って途中で腐っているような発言を平然とする人間になるのだろうかと驚きを禁じ得ない。
皮肉や嫌味を言うにしてもユーモアのカケラもなく、愛嬌もないただただ読む人を不快にさせるだけの文章などを書いて、よく自分自身に絶望しないものだなとある意味感心する。
時浦や小林がどんなに忙しかろうが、それをもって冤罪の可能性がある人を裁いて構わないなんて話はないだろう。
偉い時浦サマ、多忙を極める小林サマの御言葉を絶対とする自分たちのヤバさにまるで無自覚であるザマにはマジで怖気が走る。
東北道場設営隊志望の彼は東北人らしく、純朴に小林よしのりが掲げた「公論喚起」という志に賛同し、公論を謳う以上は小林よしのりは私心よりも公心を優先させる人であろうと信用していたからこそ、時浦の半端な説明では納得出来ないとして、このように敢然と常識に立脚した異議を申し立てたのだろう。
しかし残念ながら、その純朴で至高なパブリックマインドなどゴー宣道場において通用するわけがない。
一言、地獄である。
地獄というよりはガスが発生してアブクが立っている肥溜めの中というべきか。
まさに詰まった下水道の如き悪臭漂うカルト集団のやばさをすべて煮しめたようなネットリンチが展開されていて、もはやこれ以上読み進めるのは堪えられない人もいることと思う。