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元門弟Oさんとの会食 Part1

2018年9月16日日曜日昼すぎ、元門弟Oさんの自宅前まで車で迎えにゆく。
とりあえずランチにしましょうと元門弟Oさんに紹介してもらった飯屋に向かった。
妻は元門弟Oさんとは面識もあり、それにしても久しぶりだ、元気にしていたかなどとお互いの近況など他愛ない雑談をしながら目的地まで車を走らせた。

個人経営の小さな飯屋でランチをしたわけだが、そこでの会話はまだ核心に迫ることなく、古参門弟では誰が辞めたのかとか、そのような話をした。
元門弟Oさんは他の門弟とはどの程度の距離感で付き合っていたのか聞いてみると、親しく交流している人は少なく、3人の女性の名を挙げ、その3人とはプライベートでも仲良くしていたと話した。
一人は時浦妻で、もう一人は自称ゴー宣ジャーナリスト。最後の一人は元門弟Oさんが退会する少し前に自ら道場から離れた人である。
この方については以前から道場ブログなどでその意見を取り上げられては優秀だと称賛されていたので覚えている人も多いのではないだろうか。
また、元門弟Oさんはこの3人以外にも、師範である泉美木蘭とも個人的に連絡を取り合い、展覧会に行くなどの親交を深めていたという。

時浦妻のことに関しては我々とは大きく認識が違っていた為に、どうしてもそこが気になり、探りを入れてみた。
「アナタからのメールを夫である時浦兼に見せたことについてどう思った? 友人への裏切り行為であるとは思わなかったのか?」
この問い対して、元門弟Oさんは屈託なく、「妻が夫に自分に届いた友人からのメールを見せることは一般的にあることだから何の問題もない。それよりもそのメール内容をわざわざ上司に報告する時浦の行動は異常だ」と返答された。
私は内心では「いやいやいや、ないわー」と思った。
この件を一般的な夫婦、一般的な会社に当てはめるのは違うだろうと。
元門弟Oさんは道場運営に不満を抱き、それを愚痴ったのである。その愚痴を道場の運営に関わっている夫に伝えるということはどういうことか。
仮に時浦妻が元門弟Oさんの側に立って、運営に携わっている夫を責める意味でメールを見せて追及したというのならば、友人としての信頼は揺らがないだろうが、どうもそういう話ではない。
私は首を傾げ、「それ以降、時浦妻から何か連絡はあったのか?」と聞いたところ、元門弟Oさんは「何もない」と答える。
私は天を仰ぎ、「その時点で詰みだろう」と思った。
しかし、元門弟Oさんは時浦妻について「そんな器用なコじゃないから」と言って庇い、「彼女は私たちとの友情を選んでくれた」と言い、メールでもそのようにやりとりがあったと明かした。

時浦妻からのラストメッセージ

これ以上、時浦妻について疑いの眼差しでつつけば、元門弟Oさんはむしろこちら側に不信感を抱き、これ以上の情報提供を断られてしまうかもしれない。
それぐらい時浦妻との友情を大切にしているように見えた。
その姿に私は胸を痛めた。同時に時浦妻の頭のどこかに「666」という痣があるのではないかと戦慄した。

果たして時浦妻は元門弟Oさんが言うように「器用なコ」ではないのか。このことについてはまた別の項で論じなければならないだろう。
何故なら、今後の展開に「時浦妻」というものが大きく関わってくるから、その説明はしっかりしておいた方が良いだろうと思われる。

時浦妻についての話題はとりあえずやめ、もう一人の友人、ゴー宣ジャーナリストをおおせつかった主婦についての話を聞いた。(当時はまだゴー宣ジャーナリストではない)

筋金入りの古参

このゴー宣ジャーナリストよっしーともう一人の元古参女性、仮にリボンの騎士と呼ぼう、との3人でグループLINEをしていたという。
そこでまずリボンの騎士さんが道場メーリングリストを辞め、そののち道場からもフェイドアウトしていったわけだが、だからといってグループLINEでの交流が終わることはなかった。
次に元門弟Oさんも退会になったわけだが、それでもグループLINEでの3人の交流は続いた。
そこでのやりとりについて、私は深くは聞かなかったし、元門弟Oさんも話さなかった。
ただゴー宣ジャーナリストよっしーは二人との友情よりもゴー宣道場での居場所を保持することを重視したようだった。
その後、ゴー宣ジャーナリストよっしーは3人でのグループLINEの内容について小林よしのりにリークして、その信仰心と忠誠心を示すことで道場での地位を不動のものとしたようである。
というか、知性の面で元門弟Oさんやリボンの騎士さんよりかなり劣っていたゴー宣ジャーナリストよっしーがこの2人と話が合うとも思えず、ある疑惑が湧いてくる。
リボンの騎士さんと元門弟Oさんについて、小林よしのりは明らかに贔屓していた。それは見た目が良いからというだけではなく、やはり知的であったということが大きいだろう。
「その2人と仲良くしていれば自分もそのおこぼれにあずかれる」とゴー宣ジャーナリストよっしーが無い知恵を振り絞って考え、それを実行に移した。
女性参加者が少ないなかで、接近してくる同世代の女がいたらそりゃリボンの騎士さんも元門弟Oさんも親交を深めようとするのは道理であろう。
このような書き方をすると、「馬鹿を馬鹿にするなんてひどい! 馬鹿にだって人権があるのだからそんなはっきりと事実を突きつけるのは人権侵害だ! 今すぐゴー宣ジャーナリストよっしーさんに謝罪せよ!」と、ゴー宣道場関係者がエアリプしてくるかもしれないが、キャンセルカルチャーはやめてくれ!
私のこの推測は予断と偏見に基づくものであるが、最近小林よしのり先生は「偏見は大事だ」と言って偏見を持つことを肯定していらっしゃるのだから、ゴー宣道場界隈に関してはいくら偏見で語っても問題はないだろう。
但し、ゴー宣ジャーナリストよっしーについてのこの偏見は論拠がない話ではない。
ゴー宣道場初期、よっしーは設営隊長である白髪老婆を補佐する役目に任命されていた。
しかし、実はよっしーはその白髪老婆のポンコツさに辟易としており、件のグループLINEでワルクチを吐き散らかしていたという。
しかし道場内では老婆に笑顔を振り撒き、まさに面従腹背の技術を駆使してやり過ごしていたわけだ。
リボンの騎士さんが道場メーリングリストを辞め、次第に道場から距離を置くようになった頃、savaというハンドルネームを使う女性が門弟の最上位に立った。
すると、よっしーはすぐに彼女に擦り寄った上で小林や時浦に白髪老婆への不満を口にして、「あの婆さんを隊長から解任しないならば、私は設営から外れる」と要求した。その要求はsavaの後ろ盾があったから出来た行動である。
そうして現在、道場総合プロデューサーと任命されて実質的に道場運営のトップになった女(もん子)に小馬鹿にされながらも必死に媚び諂い、公論サポーターの末席にしがみついている主婦よっしー。
その時々に小林よしのりから評価されている参加女性にくっついて、おこぼれをあずかる姿に対して「こじき姫ルンペネラ」と呼ぶのは誰だろう?

ともあれ、ゴー宣ジャーナリストよっしーはリボンの騎士さんと元門弟Oさんとの友情をいとも簡単に断ち切り、彼女らとのLINEの内容を小林にチクッた。(但し、自分が道場界隈について批判していた部分は隠したことは言うまでもない)
よっしーにしてみれば、そもそも友情などなかったのだから、別に大した問題でもないし、何の痛痒も感じなければ疾しささえないのだろう。

「関東の方のライングループに対する反省は、初期メンKさんから聞いた。」
「ゴー宣道場の世界では、メーリスが公で、その他の通信手段は私である。公私混同は良くない。」

さて元門弟Oさんの3人の友人、最後の1人はリボンの騎士さんであるが、この方は道場初期の頃にその意見がよくブログ記事に取り上げられていた人であったが、当初掲げていた道場の理念と小林よしのりの言説があまりにかけ離れていることに呆れ果て、だからといってそれを表には出さずに何も言わず、静かに道場からフェイドアウトしていった。
そうしたところ、小林よしのりは1番のお気に入りだったその女性が来なくなったことを逆恨みして、静かに去った一般女性の背中に向けて狙撃した。
いわゆる「ラブ上位」案件である。

「二人とも、文章が上手い人間だったから、わしも特別に目をかけてやっていたのだが、それが「選民意識」に繋がって、自分の間違いを認められないほど肥大化した自我に育ってしまったのだろう。」
「しかし「公論」だと、あれほど何度も言っているのに、「ラブ上位」になってしまうのだから、人間は弱いな。」

自分の思い通りにならない相手を勝手に憎しむストーカーのようなマインドで思い違い甚だしいブログ記事を書き散らし、もの言えぬ立場の一般人に一方的に襲いかかる小林よしのり。

この小林のブログ記事に関して、元門弟Oさんは憤りを露わにしてみせた。
自分について適当に書かれた「なんで嫁?」ブログのこと以上に怒っており、友情に厚い人なんだと感心し、さすがジャンプマンガを愛読してきた人なだけはあると納得してしまった。

さて、飯屋での食事を終えた我々はまだ話し足りないということで、河岸を変えてガストに入った。

私たち夫婦はとりあえずドリンクバーを頼み、元門弟Oさんは梅酒だったかワインだったか、アルコールを誂えた。

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