魔法の言葉 ークリスマスー
冬近くになると、いくぶんかの親が魔法の言葉を使い始める。
「いい子にしないとサンタさんこないよ..」
これでほぼ確実に親の言うことをきく。
もちろん自分も散々言われた。
そして小学2年生の時の12月25日 アラームで目が覚めて、プレゼントを探したが、見つからない。
隣に寝る弟の足元には大きなプレゼントがある。
隠されてるだけかもしれないと思いながらベッドの下も探す。
ない!!
心がザワついた。
あるはずもない窓の近くも寝室のドア付近も探して
何回も同じところを探しても見つからなかった。
隣で嬉しそうにプレゼント開けてる弟見ながら
弟だけいいな..って泣いた。同時に、得体の知れない髭爺さんに「ダメな子」の烙印を押された気分だった。
母には「二人で仲良く使いなさいって事だよ」ってフォローされたけど..
プレゼントは弟の欲しかったもの。
"俺だけのもの"になってるのは確実。もちろん貸してくれることは無く、幼なじみの子達も一緒にやるから楽しいってだけで、ゲーム自体は好きじゃなかった。
そのこともすっかり忘た小3の11月。
魔法の呪文により思い出される記憶。
さすがに2年連続ってことはだろうと思った。
クリスマス当時は時間より早く目が覚めた。
この年から父の転勤についていって、寝室と居間はカーテンで仕切られていた。
カーテン側には弟が寝ている。
うっすら聞こえるテレビの音で親が起きているのがわかった。
ボーッとしてたら、カーテンが変に揺れて、カサカサ音がする。
なんだろうと息をひそめて見ていたら、カーテンの隙間から手が伸びてきてびっくりした。
腕にはめてある時計は父のもので、安心したが、そっと弟の枕元に何かをおいてカーテンの向こうに消えた。
そういうことか..
親だと知って全て繋がった感覚があった。心が抉られる感覚と同時に血の気が引いた。泣いた。
手伝いは弟よりしてるし、悪さしてるわけでもない。
やっぱり周りから賞賛されないと悪い子なんだと自分を責め始るようになった。
悲しさは怒りに変わっていて「朝 手見たんだけど..サンタさんって父さんだったんでしょ? 自分の欲しいもの買ってくれなかったら弟にバラすよ?」
と弟大好きな母を脅す。
そして、買ってもらったものを抱えながら弟にサンタさんは親だと教えた。
いい子じゃないからね。
後に、あの時の事を聞くとお金持がなかったと言っていた。
ならば弟だけのプレゼントじゃなくて、お菓子セットを2人分買って別の日にゲーム買ってあげるとかあったんじゃないか?と思う。
そう考えない辺りが、やっぱり弟優先だったんだろうなと思った。
よく考えてみたら、お前には色々お金かけてるだろ(ピアノとかレッスン、眼鏡とか)ってよく言われてたから、親からしたら弟にお金出してあげたいって思ってたのかもしれない。
でも子供からしたらサンタと親は別者なわけだ。それを徹底できないなら、クリスチャンでもないし無理にやる行事でもない。
正直に話してくれた方が精神衛生的にはよかった可能性が高い。
友達は、サンタさんいないからね。うちはやらないからね。って言われたって聞いたときは子どもと向き合ってる親で羨ましかった。
本来クリスマスは愛の日であるはずなのに、子供を脅したり、いつの日にかはサンタさんはいないと知り、プレゼントもなくなる。それが愛なのだろうか?
家族で集まって小さなものをプレゼントし合ったり、ツリーに飾り付けする思い出だけじゃだめなのだろうか?と考えてしまう。
母はイベント好きで、機嫌がよくなる。父親も。自分より大きなツリーの飾り付けは実際楽しかった。
小4で封印されたツリー。
あの頃のイメージのまま9年越しに出したツリーは意外と身長より全然低くて笑った。