セカイ系

私時々レッサーパンダが名作だった。それだけじゃなく恐らく、俺はこれを見ても映画監督を目指していただろうと感じた。
なぜか?
これは君の名はとも共通する、個人的な悩みや困りごとが大きな物事と重なり、最終的に多くの人と解決に向かって心も行動も重なっていく様にあったと思う。
いわゆるセカイ系というやつだ。
私は物語は全て現実逃避だと思う。なぜなら本当は現実こそが最高のエンターテイメントであり、ドラマだからだ。
なのにドラマを見て、心を動かされようとする。ある意味、心を現実からoffにしているのだろう。
脳は睡眠によりoffにする。なのに心にはその瞬間がない。なぜなら夢を見るからだ。心は常に消費する。だから人は物語を見る。
私の最も良い現実逃避がセカイ系なのだ。それは自分とのリンクの高さとその物語の美しさだ。こんな、こんなふうにみんなと何かを達成しようと出来ればと。部活の経験があるのだろう。それが出来なかった思春期のレガシーが僕の心を躍らせる。
私が最も幸せだと思う瞬間は多くの人の夢が交錯した先頭に自分が立ち、それに挑戦できる瞬間にあると思う。
それがセカイ系は悩みなのだ。明るい目標じゃなくていい、プラスな努力じゃなくていい。もしかしたら夢を叶えるのと同じ総量の想いが、悩みの解決には必要かもしれないからだ。耐える、押し黙る、目を瞑る。努力してない、行動してないと否定されがちなものだが、これも立派な努力なのだ。これらがタダでできてると思わないで欲しい。必死に生きているのだ。こっちだって必死なんだ。その時でできるベストかもしれないこの行為を認めてくれたら、きっと泣いてしまうだろう。言葉ばかりの机上の正解と現実の行動の隙間が限りなくなくなっている今だからこそ、机上の空論では否定される現実のベストを誰かが守ってあげて欲しい。
もしかしたらそれは世界を動かす、最も大きな要因かもしれないのだ。
世界は動く、動き出す。その始まりはもっと後かもしれないが、きっかけや小さな衝動はここから始まっているんだ。そう思えなきゃ、自分を肯定して生きていけない。もう限界はきているのだから。
今のいま、その現状こそが物語の始まりなんだと映画館を出て行って欲しい。出ていける映画こそ、最も美しい映画なのが僕だ。

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