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歴史を変えた逆転劇『オフィサー・アンド・スパイ』スタッフブログ

1895年1月5日、陸軍士官学校の中庭でスパイ容疑で有罪となったドレフュス大尉の階級剥奪が行われた。そのすぐ後、新任の防諜部長としてピカール中佐が着任。ピカール中佐は防諜部の業務を精査するうち、ドレフュス大尉の逮捕で収束したはずのドイツに対するスパイが未だに活動しているらしいことを知る・・・

『オフィサー・アンド・スパイ』あらすじ

『オフィサー・アンド・スパイ』スタッフブログ

世界史の教科書には必ず載っている「ドレフュス事件」をロマン・ポランスキーが監督。
ロマン・ポランスキーはポーランド系のユダヤ人であり、反ユダヤ主義やホロコーストには特別の感情を抱いているのは間違いないところ。
『戦場のピアニスト』では身近にホロコーストの犠牲者が居た者にしか描けない容赦のない描写があり、心の奥に燃えさかる怒りの炎を否応なしに感じるのでした。
冒頭の階級剥奪の模様でのドレフュスの無念さの描写は鬼気迫るものがあり、単なる冤罪による無念さを超えたユダヤ人への不当な扱いに対する怒りが現れているように感じるのでした。

一方でこの作品が2020年のセザール賞での最優秀監督賞を受賞したことに際し、『燃ゆる女の肖像』のアデル・エネル、ノエミ・メルラン、セリーヌ・シアマが抗議の退場をするという事態が発生。
舌鋒鋭くユダヤ人問題に切り込む傍ら自らの女性への性的虐待の疑惑に真正面から答えようとしない姿勢はある意味で「どのクチが言うのか」とも思えるものであり、監督の私生活での不品行と作品評価を切り分けることの是非について考えさせられる問題といえます。

ここではそれは一旦置くとして、物語はドレフュス事件の顛末を大きな脚色なく伝えようという姿勢の感じられるもので、自らのユダヤ人への感情を抑え、真実の追及という自分の信じる正義に忠実に事件を明らかにしようとするピカール中佐を主人公に据えて丁寧に描写していきます。
ドイツ大使館のゴミからスパイの活動が続いていることの端緒を掴むところ、ドレフュスとは別の真犯人の存在が次第に明らかになっていくところのサスペンスフルな盛り上がりは大変見応えがあります。

ピカール中佐は新たな事実の出現をもとに早急に対応の必要があることを上官に訴えるが、「第二のドレフュス事件はご免だ」との返答とともに、事態を秘密裏に隠蔽しようとする驚くべき動きに当惑する。
スパイが他に居るということの国家的重大事よりも自らの保身に走る軍上層部、それに加えてそれが当たり前のことのように蔓延る反ユダヤ主義、という病根の根深さを描き出していきます。
19世紀末という時代、第三共和制のフランスという時代や地域性といった枠に留まらず、反ユダヤ主義は明確な根拠もないままに、曖昧模糊としたおぼろげな異教徒への不信などから、見えない敵をあたかも眼前に居るかのように描き出す一種の陰謀論であり、それは現代のQアノンなどの陰謀論者の論理と同根の、非合理的な排除論理というべきものです。
軍上層部の隠蔽工作や証拠の捏造など、ついこのあいだの日本においても実際に行われている組織防衛のための犯罪行為といった問題は、120年を経た今日においてもまったく変わらず社会を蝕み続けている、ということでしょう。

物語はピカール中佐の左遷、ドレフュスの悪魔島での収監(1930年代にはパピヨンが収監されることになる)といった事態を経て、ドレフュスの無実が次第に明らかになるつれ、エミール・ゾラによる告発「私は告発する!」の発表など、フランス社会を二分する大きな社会問題になっていく様子を描いていきます。
ところが、物語は後半に行くに従ってやや駆け足な印象となり、重要な事実をダイジェスト的に繋いでいく展開に。
ゾラやその弁護士であるフェルナン・ラボーリなどの支援を受けてピカール中佐が軍上層部に抗い、裁判で真実を訴える場面は迫力があるのですが、やはり駆け足な印象は拭えない。
これは事件の顛末が一発で勝負の決まる単純なハッピーエンドではなく、さまざまな段階を何度も経て次第に勝利に至る、という複雑で細かな事象の多い展開が尺の都合ですべてを語るには難しい、という事情があるからかとも思えるのですが、監督の意図するところとしては、ドレフュスとピカール中佐の名誉の回復を追うよりも、前掲の反ユダヤ主義や上層部の隠蔽工作といった社会の病根を露わにしたい、という思いにウェイトが置かれているからではないか、という気がするのでした。

映画では真犯人のフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジの消息はおろか、背中を撃たれたラボーリがどうなったのか、名誉棄損で訴えられたゾラの裁判の結果とその後、隠蔽に関与した将軍たちの処遇といった物語の上でも本来重要な“結”の部分が語られていない。
これはやはり監督の意図するところはそこに主眼が置かれていないことの左証ではないか、と思うのです。

また、ドレフュス事件といえば、これを取材したテオドール・ヘルツルが反ユダヤ主義の勢力を目の当たりにし、“ユダヤ人は約束の地シオンに帰るべき(=パレスチナにユダヤ人国家を建設すべし)”というシオニズムを唱えるようになる端緒となった事件として世界史に記録されているわけですが、この映画にはシオニズムはおろかヘルツルのへの字も出て来ない。
近代ユダヤ人としてのアイデンティティをあえて封印し、反ユダヤ主義を現代に通じる陰謀論のひとつの姿と捉える監督の意図は、人が陥るポピュリズムに根差す根源的な弱さと危険さをアピールしたかったからではないか、と思えるのでした。

映画的カタルシスという点において、溜飲の下がる思いをするところが少ない、というのは少々惜しいという気がするものの、事件のあらましを抑制的に描く、という点において、手練れの監督による見応えのある作品であることは間違いないと思います。

以下、映画が明確に描写していない関係者のその後についてのメモ
本編のネタバレになるので閲覧はご注意ください。

フェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ
1898年ロンドンへ逃亡
1923年死去

エミール・ゾラ
1898年1月13日「私は告発する!」発表
1898年英国に亡命、翌年帰国
1902年9月29日自宅で一酸化炭素中毒により死去

フェルナン・ラボーリ
1899年8月14日レンヌにて遭難、死を免れ8月22日に裁判に復帰
1917年死去

軍上層部の関係者
処分などは殆どなく、引退・死去

ビヨ陸軍大臣(Jean-Baptiste Billot)
1907年死去

ボワデッフル将軍(Raoul Le Mouton de Boisdeffre)
1898年9月2日参謀総長を辞任
1919年死去

ゴンス将軍(Charles-Arthur Gonse)
1903年予備役
1917年死去

オーギュスト・メルシエ将軍(Auguste Mercier)
1900-20年元老院議員
1921年死去

『オフィサー・アンド・スパイ』静岡シネ・ギャラリー上映情報

2022/6/3(金)~6/23(木)まで上映予定
6/3(金)~6/9(木)まで
①13:00~15:15
②19:15~21:30

6/10(金)~6/16(木)まで
①12:30~14:45
②19:05~21:20

6/17(金)~6/23(木)まで
時間未定 決まり次第公式HP(http://www.cine-gallery.jp/)にて掲載