人それぞれ
漠然と雑然としている。
何がってこの世界だ。
丸いものもあれば、四角いものもある、柔らかいものも、固いものも。
さらにその丸いものだって微妙にいっこずつ歪んでいたりする。
全部に名前とIDつけたらきりがない。
だから”丸いもの”と表現してグループ化する。
さらに上の例で言えば、”もの”というグループだ。
言語化、定義づけ、カテゴライズ、科学・・
自然物理の世界では当然のように受け入れられる事であるけど、とかく人間の社会や感情においては、分類する事が肯定されない場合が多いと感じている。
民族性の話をすれば人種差別
男女の違いを話せば性差別
悩みにコメントすればそんな事じゃない
人を評すれば角が立つ
行きつくセリフに定番のものがある。
「人それぞれだよね」
軽い会話や、無難にまとめる時になんて便利な言葉だろう。
言葉に出さないが、このセリフを聞くたび、本当にそれぞれ全部違うのだろうか。と実は思っている。
分類して分析した方が解決策や人々の幸せに近づくのではないだろうか。
特に触れにくい話題であったり、ネガティブな表現が必要な時によく
「人それぞれ」
は登場している気がする。
いち早い判断が必要な時や、軽い話題でも掘り下げて楽しい時間を過ごす時などは、「人それぞれ」で済ませてしまうのはなんとも味気のないものだ。
もちろん一つ一つの事象や性格は違うのだ。
けど、その話を先に進めたいときだってあるのだよ。