見下す

“あなたは、最も一緒に過ごす時間の長い5人の友達の平均になる”
アメリカの起業家ジム・ローンという方の言葉だそうである。
最近よく目にする。
日本にも”朱に染まれば赤くなる”って言葉があるので、さして目新しい概念でもないとは思うけど、忘れないようにしたい事柄です。

こういった言葉を主体的に捉えれば、

「悪いオーラを放つ人とは距離を置こう」
「高年収の人たちと付き合おう」

みたいな話になるんだと思うけど、割とそれはどうでも良いと思ってて、むしろ他者に対して

「あの人の価値規範は自分の価値規範とは違うのだ」
「大切なこの人の力になれているだろうか」

と考えたいと思ったりしている。

ここまで、実は「思い込み」について考えてた事の前フリなんだけど、
自分もきっと「思い込み」がある、周囲を見てても「思い込み」が非常に多い。
それが互いに干渉しあうと、「意見が違う」とか「人それぞれ」みたいな話になるんだけど、それって元々は、その人の周囲5人程度で共有してる「思い込み」に過ぎないんじゃあないか。って感じるわけです。

それをさも世界基準、業界水準、普通は~、みたいに話を大きくしちゃってるんじゃないの。ってね。
まぁもっとも、人間社会には「教育」、「マスメディア」があるので、その側面的にもなり得る「思い込み」が広く伝播されていく事にもなっていくんだろうけども。

で、ここまで、実は「見下す」について考えてた事の前フリなんだけど笑、
何故か人は「見下す」感情を無意識であれ持ってしまう。
自分のライフスタイルが見下されてる感じを受ける事もあるし、誰かが誰かを見下している瞬間を見る事も多い。
自分含めそれらは無意識な事が多い。

これは非常にやっかいだと思っていて、その「見下し」が笑いの種になってその場が盛り上がる事もあるし、その道の方たちなども「ナメられたら終わり」的な抗争が起こったりする。
そこまで話を広げるとキリがないので、とりあえずは個々の感情に絞ります。

根本的には、自尊心あるいは自分を守るための感情なのだと思う。
いやな言い方だとは思うけど、がんばってきた自分を肯定したい、されたいが為に他者を堕とす。そして優越感を感じたい。だってあいつがんばってないもん。的な?
反面言い換えると即ち、「自信のなさ」の表れなのでしょう。
端的に言えば、自信のある人は人を見下さない、とも言えるけど、自信あるから威張る人もいる(ホントは自信がないから威張るのかも)。

本当の意味で自信があり、自分を認めてくれる誰かが居てくれたらいいのだとは思う。

けれど、それらも「思い込み」に過ぎないし、さらには実は自分の成果ですらなく、周囲数人からの認知や価値規範にすぎない。

そんな堂々巡りを繰り返す日々、未熟な自分を感じますが、
無意識で他者を見下す事のないよう、せめて常に謙虚でありたいものです。それくらいしかこのloopから抜け出す術が思いつきませぬ。




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