押し殺してた悲しみ

私は、虐待サバイバーでもありますが、限り無くネグレクトに近い放任主義を乗り越えた人でもあります。

ネグレクトも虐待と同じなんじゃないの?と思ってしまうし、一括りにされがちですが、
虐待の根幹とネグレクトの根幹は大きく異なる気がしています

虐待は子どもや弱者、または人を一方的に攻撃し傷つけ、弱らせます

ネグレクトは、とにかく大事にしないことです
長い間子どもや弱者、自分までをも放置しておくことです

私は、激務の両親のもとに生まれ、
朝起きておはようと会話を交わしたら、
夜眠りにつくまで両親と会話をすることはありませんでした。

あっても、7時に帰ってくる母親の罵声を浴びせ続けられるだけで、

攻撃されるか、放置されるか

両極端だったのです。

私は、いつも愛に飢えていました。
会話がしたい
触れられたい
人との安心感を得たい

そんな気持ちで毎日が精一杯だったように思います。

心が枯れていて、

そんな心に母親の言葉や姉の言葉、時には父の姿勢までもが追い討ちを掛けました。

喉がカラカラの状態で、やっと手にした水はとても不味くて飲めるようなものではありませんでした。


高校生か大学生のあたりで、自分の脳みそがおかしくなる瞬間がなん度もやってきたことを、いまだに覚えています。

あの瞬間がまた来たら…と思うと背筋がゾッとしますが、

もう私はあの体験をしないと決めました。

この先幸せにしかなりません。

どう転んでも幸せにしからならないのです。

どうせ幸せになってしまう

それが私の人生


家に置き去りにされて、まるで存在しないような存在にされることは、耐え難く、、、、
誰に何をどう伝えたら良いのかも分からず、
ただただくるしくて

寂しくて


とにかく抱きしめられたかった

悲しく、辛く、そんな長い時間でした


私はそんな幼い自分をようやく受け入れ、新しい扉を開けようとしています


私の25年間はずっと人のために捧げて来た人生でしたが、
もうそれは元には戻りません

とてもとても、とても悲しいことです

でも、戻らないのです

戻りたくもないけど、幸せにして返して欲しい

それが私のせめてもの思いです


なので、悲しみは無くなることは無いかもしれないし、

悲しくなかったと嘘をつきたくも無く、

ただただ、自分を守り抱きしめて、

愛に溢れた幸せな気持ちでいっぱいにして、

悲しみがそこにあって、悲しい過去があったとしても、
見えなくなるぐらいに、
たくさんの悲しい記憶を超えるぐらいのたくさんのたくさんのたくさんの幸せでいっぱいな記憶で溢れさせたい。

それが私の思いです。