理想の死に方(死生観)を持つということ
こんばんはsarasaです。
突然ですが皆さん、
理想の死に方ってありますか?
今日はわたしの死生観についてお話しします。
(映画「きみに読む物語」のネタバレを含みます)
ちなみに
死生観とは、生きることと死ぬことに対する考え方、または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのこと
理想の死に方
例えば眠るように死にたいとか
痛みがなく死にたいとか思いますよね。
皆さんは死ぬときのことを考えたことがありますか?
わたしは映画『きみに読む物語』を見てから理想の死に方はこれだって思うようになりました。
(リンクにネタバレありのあらすじがあります。)
最初に見たのは小学生の時で、まだあまりわかっていませんでしたが、本当に愛する人ができた時こんな風になれるんだ。良いな。と思ったことは覚えています。
そして2回目は大学生、3回目は社会人になってから見ました。
大人になってから見てみると本当の感動が味わえました。
女性人気の高い純愛ものと言われていますが、本当に名作です。
わたしはこんな風に思える人に出会いたい。そしてこんな風に死にたい。と強く願うようになりました。
当時のわたしは裏切られてばかりで本当に愛しあえる人はできるんだろうか、わたしにも幸せな恋愛をして幸せな結婚ができるんだろうか、そればかり考えていました。
でも願うことはやめませんでした。理想を持ち続けました。
映画の最後のシーン。
「わたしたちの愛が、奇跡を起こすと思う?」
「ああ、思うよ」
「わたしたち一緒に死ねるかしら……?」
「ぼくらの愛に不可能はないからね」
ふたりは愛を語り、「おやすみ」と眠りにつくアリー。デュークは「また会おう」と返した。アリーとデュークは手をしっかりとつないだまま、ともに深い眠りについたのだった。
まさにこうやって死にたいです。
愛する人を残していかないで済む、
愛する人と一緒に旅立てる。
わたしの理想です。
卒論は死生観について書きました
実は大学時代、哲学系のゼミに進みましたが特に研究したい哲学者が見つからず(というよりわたしの死というものに興味を持ちすぎて)ずっと死ぬとはどういうことかを考えていました。
「死」は多くの哲学者が取り上げた議題であり、人類永遠のテーマだとわたしは思っているのですが、やはり自分なりの答えを持つことが強いという結論に至りました。
わたしが卒論を書くにあたり大変参考にさせていただいた、日本で「死生学」という学問を根づかせたカトリック神父がいます。アルフォンスデーケンさんという方です。
この方の唱えた「死への準備教育」がわたしに与えた影響は大きかったです。
─ 死生学とはどのような学問 ですか。
死に関する学問は英語でサナトロジーと 言います。直訳すると死学ですが、死につ いて考えれば考えるほど生について考える ことになりますから、死生学と翻訳した方が 本当の意味を表すのではないでしょうか。 死生学とは、医学、看護学、教育学、 哲学、心理学、宗教学、文学、法学、 歴 史 学 な ど あ ら ゆ る 分 野 の 立 場 か ら 、 人 間 の 生 と 死 を 探 求 す る 学 問 で あ る と 定 義 して いいでしょう。(https://info.linkclub.or.jp/nl/2008_09/pdf/3.pdfより)
死を考えることは生を考えること。
これはよく「終わりをイメージすると今を大事にできる」なんて言葉にされるかと思います。
死ぬときの自分をイメージすることが大事と。
だってみんな死ぬときに悔いなく死にたいですもんね。
わたしは子供の頃からずっと死にたいと言い続けて、別にいつ死んでも良いと本気で思っていました。
でもわたしの言う「死にたい」は「死にたい(ほど辛い)」だったんだなって気づいてからはあんまり本気で死ぬことを考えなくなりました。
今「死にたいほど辛い状況にある。苦しい。助けて」って気持ちなだけで
「心から死にたい」わけじゃないと。
そう思うとどうやったらこの苦しみから解放されるのか考えられるようになるんですよね。
別のアプローチが見えてきました。
いい死に方をするにはどうしたらいいだろう?
と思うと本当に自然に今をどうやって生きるか考えられるようになります。
人生の逆算が始まるんです。
そして今のわたしは悔いなく生きることができているのでいつ世界が終わってもいいし、死ぬことが怖くなくなりました。
死は怖くない
もちろん生きていたいし、まだまだ人生楽しみたいけど今死ぬよって言われてもわかりましたって受け入れられるくらい悔いがないです。
これってすごいことだと思いませんか?
わたしは今ガンかもしれないと宣告されています。
(現在精密検査の途中、手術は不可避状態までわかってます)
普通の人だったら不安で怖くて仕方なくなるんじゃないかと思います。
現にオープンチャットで同じガンの人が集まるコミュニティに入ってみたらみんなで不安怖いって言い合って慰めあってました。
それはそれで良いと思うんです。
仲間は必要だしそういう時間も関係も大事だと思うから。
しかしわたしには全くそういう気持ちがないので必要性を感じませんでした。
わたしは今、心が平安です。穏やかです。
死についてとことん考えた結果、このマインドを手にいれることができました。
死生観を持った結果
今がとても大事になりますから、逆に今のことしか考えなくなります。
明日のことは明日が来たら考えれば良いやってなります。
もちろん将来のビジョンや希望は必要なのでしっかり持つ必要がありますが、心配はしなくて良いのです。
心配をして解決をして乗り越えて行くのはそのときの自分です。
今の自分ではありません。
わたしは、映画のように一緒に死にたい相手には出会えました。
あとは二人で一緒に愛を確かめ合いながら死ねれば最高に幸せな人生だったと言えるわけです。
これが理想の死に方を見つけた状態。
そしてその時までせっかく生かされている今の人生をどうやって生きよう?と考えるのです。
逆算すると今しておきたいことが見えてくるはずです!
明日死ぬならこれだけはやっておくな、、、みたいに。
あとそうやって死ぬためには寿命がいつかわからないけど旦那さんと仲良しで愛し合ってないといけません(いけないことないけど理想のためにはそうしたいですよね)
ではどうしたら二人で笑って愛し合っていられるか?
わたしは毎日HAPPYで生きたい。
周りの人も毎日HAPPYでいてほしい。
あなたがいてくれてよかった
あなたの存在がプラスになったよ
って言われたい。
そのために自分の思考はどうしたら良いかな?
そのために自分の行動はどうしようかな?
そうやって導き出された答えをもとに毎日過ごしています。
毎日やりたいことをして楽しいことをする。
やったほうがいいと思うことをする。
やらなくて良いことはやらない。
そんな風に生きているわたしを見て旦那さんは幸せそうに笑ってくれます。
心からわたしのことを応援してくれます。
これが今の私たちの幸せな関係の在り方です。
おかげでわたしは毎日HAPPYなわけです。
これはわたしが見つけたHAPPYですが、あなたのHAPPYは何でしょう?
皆さんも毎日HAPPYになりましょう♪
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