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うんちとは六道であり、六道はうんこである。
先日、ゴミうんち展に行ってきました。
自然界の循環から、人間社会による消費問題をテーマにした展示←ざっくり言うとこんな感じ。
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俺はこの展示を見てる時思った。
うんちとは六道であり、六道はうんこではないのか?
と
六道-天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つから形成されている世界/境涯で仏教において、生きとし生けるもの全てが業から行く輪廻転生のこと
うんち-動物の消化管から排出される個体状の排泄物
六道と排泄物が同義なはずが無い!と思う人もいると思うが、俺の勝手な解釈で証明していこうと思う。
まず、循環という面から見よう。
六道を見ると輪廻転生という文がありこれはインド哲学の根幹における、生物は死後、生前の行為つまり業の結果、多様な生存となって生まれ変わるとされ、命あるものは何度も転生し、人だけでなく動物などを含めた生類として生まれ変わる等の思想から来ている。
対してうんちだ。
人間のうんちは口から入った食物を体内で消化・吸収し、やがて排出される。その後、下水処理場で化学処理され汚泥や再生水となる。汚泥は肥料になり食物を育て、再生水は川や海に流される他、排泄物の流し水・植物への水やりに利用される。そしてまた我々の体内へと直接/間接的に戻ってくる。
おや?些か暴論だが、どちらも循環しやがて生命になるではないか?
しかしこれだけだと暴論になってしまう。次は文化的な面から見よう。
平安時代にはこんな文献がある。
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上記の絵は人の糞便を食べる餓鬼を描いてある。
餓鬼とは六道において餓鬼道に生まれた者であり、常に飢えと乾きに苦しむ悲しき生き物の事だ。
うんち…?餓鬼道…?
おい、繋がってきたな
しかし餓鬼道だけでは完全とは言えない。餓鬼道は餓鬼の世界であり人間の世界では無いからだ。
では、人間の世界である人間道を見よう。
人間道-人間が住む世界。四苦八苦に悩まされる。
往生要集の「厭離穢土」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されている。地表の世界。三界のうち欲界に属する。
ここで更に不浄の相に注目する。(不浄相は九相図の事であり、不浄とは違うが、広義の意味として不浄を採用する)
不浄-汚れ/穢れのこと、湾曲表現として月経・大便・小便・便所を指す
またうんちだ!!!
これもう六道=うんちが成立したな。
まだまだ、暴論であり、尚且つこじつけであるが俺はうんちとは六道であり、六道はうんこである事に納得しようと思う。
世界は循環し、やがて輪廻転生を齎す。この事を胸に刻み生きていこう。業を増やさない為に。
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93
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https://toilet-magazine.jp/etc/4928