怠惰を愛するということ
いつもお世話になっております。早見更紗です。
活動を始めて一年が経ちました。
一年活動を続けて分かったことがあります。
「早見更紗は怠惰である」ということです。
うるさいうるさい、まだヤジを飛ばすのはやめてください。2023年にやりきれていないことをコメントで挙げるのはやめろ。
今日は怠惰であることがどれだけ人生を充実させてきたか、という話をしたいのだ。おとなしく聞きなさい。
やらなくてはいけないことから逃げてる時間
IRIAMライバーは誰かにやれと言われたわけでもないのにやらなければいけないことが多すぎる。自分で課したタスクなのに、なぜ私が追われなければいけないのだ。納期を決めたのも自分だというのに。
そんな時、私は虚空へと逃げる。
虚空の世界はいい。すべてが意のままだ。
いや、今日はそんな話をしたいわけではない。
話を戻そう。
やらなくてはいけないことから逃げている時間、私たちは何もしていないわけではない。何か別のことに逃げている間、私たちはなにかしら充実した貴重な時間を過ごしているのである。
そう、この何かから逃げている時間は貴重な時間なのだ。
自ら面白いことをしたいと思いながら模索するのと、この何かから逃げてる時間に模索するのではなぜか結果の仕上がりが違う。
時間を取って書いた記事よりも、仕事をさぼって書く記事の方が出来がいいという根拠があるのだから、この理論は間違っていないはず。
怠惰な人間しか味わうことのできないこの時間は、私をよりエンタメの権化に導くと信じて疑わないのが早見更紗の真骨頂なのである。
愚かな人間を許しますか?
配信をしていると時折、「社不」というコメントが流れていくのを私は見逃していない。多分、私のことだろう。
社不に何を言われたところで私の心には何一つ響かないので問題はないが、上記にも書いた通り、怠惰である私は社不の目から見ても社不に感じられる何かがあるのだろう。
確かに、19時に友達と待ち合わせしているといいながら19時半まで配信をしたり、今日中の仕事は実質明日の始業前までだから今日はもう寝ると決め込んだり、有休を事前申請するなんて出来た試しがない。(当日休サイコー)
そんな愚かな私でも許されるのは、インターネットという海で出会った私たちはいい意味で無関係で、正直に生きられるからだ。
社不はある意味人間らしい。そしてそこには完璧ではないからこその魅力があるのだと私は信じている。
社会に出て他者から欠陥だといわれるようなことも、私の愛する秩序のないインターネットでは「個性」になるのだからたまらなく愛おしいのだと思う。
いったいこの記事になんの意味があるのかと思ったそこの君へ。
つまり、私が、何を言いたいかというと、
バナイベの返礼品、「早見更紗の夢小説」をまだお渡しできておらず大変申し訳ございません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あと三年待ってください。(嘘です)
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