最近の近況雑記
AIRを全部見た。「夏」をテーマにしていて、海とか空とか自然のものと人間の関係を良い感じに演出していて良いなと思った。家族愛についての話も今の時代にあまり無いから新鮮だった。「美鈴が笑って傍にいてくれるだけで良いんだ」みたいなセリフがあって、今Vtuberが笑ってるのを見ながら飯食べてるオタクと言ってること変わらないなと思った。でも一個違うところがある。母親が美鈴を全力で愛して、見返りも求めず、夜も寝ずに看病するシーンを見て泣いたし、こういった「無条件の愛」とか「人との深い繋がり」がやっぱりコンテンツ産業では提供できなくて、それが失われている虚しさみたいなものはほとんどの人の心にあるんだろうな、と。
「夏」っていう概念がめっちゃ好きで定期的に思い出したくなるし感じたくなるんだけど、この欲望の正体ってなんなんだろうな。冬よりもワクワクする感じとかエネルギッシュな感じがするっていうのもあるけど、僕は一番は、「溶けれる」ことだと思う。冬は寒さで「固まる」感じがするけど、夏の暑さは「溶ける」感じがする。それが、認識とか心とか景色が溶ける感じになる感覚が味わえて良い感じになってる気がする。僕は最近、自分の将来の夢は「溶けること」かもしれないと思ってきていて。今、人生で一番喜びを感じた時とか、こうなりたいな、こうしたいなと思ってることを文章に書き出してるんだけど、全部認識が溶けてるというか、少なくとも何かの型に当てはまってないような体験に没頭している時だった。逆に苦痛を感じる時は、何かを型に当てはめてこれはこうだって言ってる時だなと思った(親のせいでトラウマを抱えた、とか)。AはBだっていう認識の固まりに力点を置きすぎずに、創造的で柔軟なとろけみのある概念について考えたりそれと融和したりすることに力点を置きたいな、と思ってきた。そして、溶けたまま、熱意を持って没頭できる活動に取り組みたい。
書いてみて、仏教の「空」的な思想に近いなと思った。固定された認識に拘らず、自己と自然の境界がなくなって溶け合う世界観を求めているんだなと思った。で、悩みってなんかの社会の固定概念にとらわれてるから起こることが多いような気もするし、まぁ無いのが仏教的なんだろうなと思う。まぁでも人を不快にすることはしたくないしその辺は考えたいんだけど、経験を重ねるうちにだんだんそれについて考えなきゃいけない部分も減っていくとは思う。
note二年やってきて、悩みたいことだいたい悩みつくした感じがする。その過程で、「自分の悩みは他人に言っても全くの無駄だから、全部自分で考えて全部自分で解決しなきゃいけない」みたいな価値観が根深く培われてしまった感じがする。だから、そこの部分で人に排他的になってしまう自分がいるなって薄々感じていて、それが対人関係の中で明るみに出てしまった時はちょっと孤独感を感じる。マジョリティ的な悩みを抱えていたら、それを共有することの喜びみたいなものにも触れられたのかなと思うと、人との繋がりにおいて大事な要素が一個ないなってるのかなと感じる。人に理解されやすい悩みを共有してって治していくのがいいのかなぁとか考えたけど、別にそれ以外のかたちで人と楽しく関わればいい気もしているので、まぁそこまで問題じゃないような感じはしている。それよりも、学生時代にまともに人と関わってこなくて、「繋がり」を感じる心が失われている方が結構問題だと感じる。これは今の一番の悩みなんだけど、うーんどう解決していこうか。全く感じれないわけじゃないから、感じた時はそれを意識して記録したり、そういう経験の場に出るのを増やしたりするのが良いのかもしれない。それと同時に、ある程度の社会性みたいなものも身に着けたいという気持ちがある。
前までは迷いがあったから、アニメも本も「広く浅く」の精神で取り組んでいたけど、最近は自分がだいたいどんなことに喜びを感じるのかわかってきて、「狭く深く」の精神に移行してきた感じがする。「新しいこと」ばっかりを求めすぎちゃっても自分の精神の居場所みたいなものがなくなってしんどいし、自分が楽しめるコンテンツであれば何回も見返したりしたいなと思ってきた。最近ハマってるVの子が何度も同じアニメを見ていてとても楽しそうだし、そういう生き方も良いなーと直観的に思ったっていうのも大きい。最近はplastictreeってバンドを永遠に聞いててすごい狭く深くしてるなって感じる。本も、落合陽一さんがおすすめしてたやつとりあえず全部読もうってなってて、狭く深くしている。
悩んでることをnoteに書いてると、悩んでる人しか寄ってこないから、自分からあんまり悩まず人生楽しんでいる人と接触することが大事なんだなと感じてきた。だから最近、個人の、コメント読んでくれて友好的で友達多そうで悩んでなさそうで狭く深くして楽しんでそうなVの配信を多く見てるんだろうな、と思う。最近の自分がやりたかったことが繋がってきた。そのおかげで、最近はものごとを楽しむ癖というかマインドみたいなものが身についてきた気がして、初めてVに深く感謝したし、成長させられたなと感じる。「あげまん」の正体は「誠実性」である、みたいな記事を読んだことがあるけど、勤勉で友好的で人生を楽しんでいる女の子と関わると自分も人生うまく転がっていくなっていうのを体験としても感じてきた。ツイキャスは若いからほとんど勤勉で真面目な女の子はいないんだけど、ユーチューブで個人で3年とか続けてる人はそれだけでだいぶ凄いし尊敬できるなと思う。自分のガワをつくるとか、動画を編集するとか、ある程度知的能力と根気と創造性もいるし。こういう視点でその人を見てみると、一芸に秀でていなくても部分部分で尊敬できるなっていうことがわかる。そして、そういう人と少しでもコメントでやりとりすることで、関係性を持つことができて、その人の良い影響が自分にも伝染するな、っていうことに気づいて、結構新たな発見だなと思う。
「コンテンツの楽しみ方」ってほとんど誰も教えてくれないし、正確に言語化しようとか何かとの関係の中で考えようとかも思わないので、自分で孤独にこれは何だって考えて意味をつけて言語化していく作業ができるのは僕のひとつの強みではあるかもしれない。人間、自分がどうでもいいと思ってることで悩んでたり考えてる人のことを見ると「そんな考えなくていいんじゃない?」と言いたくなるバイアスあるなって最近自分が人に言ってるの客観視して気づいたし、自分にとって大事なものは大衆にとって大事じゃなくてないがしろにされることってあるなと思う。なので僕も、自分で重要だと思ったことはとことん考えたいし、自分が通ってきてないところにある人の悩みには寛容でありたい。その人にとっては大切なことかもしれないからね。