ラーメンはこわい
ラーメン食べてきたんだけど、なんかもう二度と食べたくないかもしれない、替え玉2回してしまって疲労がヤバい、お腹の中から変な匂いする感じがちょっと気持ち悪い、予後がしんどい…。
食べてる間はめっちゃ元気になるんだよ。なんだこの美味しい食べ物は!ってなるし、一度味を感じた後は麺をすすること以外考えられなくなるあの感じが中毒だし、嫌なことを忘れて快楽に身を任せられる感じがくせになっちゃうんだよな。シコってる時の男のIQって下がってると思うけど、ワンチャンそれよりも下がってる説ある。気持ちが完全にノっててうおおおおおってなってる時はシコの方がIQ低いけど、他のこと考えながら惰性でシコってる時はラーメン食べてる時よりもIQ高い気がする。シコってる時は、結構いろんな思考で頭がいっぱいになってる時多いんだけど、ラーメンは思考が飛ぶ感じがする。もうすすることしか考えられなくなる。だから店内にある無料の紅しょうがとかごまとかかけまくっちゃって、なんか気持ち悪い味になるんだけど、最初の一口で脳が破壊されてるからどうでもよくなる。マジで、紅ショウガが美味しいのかラーメンが美味しいのかわからなくなってくるし、麺みたいに視界もぐにゃぐにゃになってるから、今何やってんのかもわからなくなってくる。
「吸う」っていう行為も、IQの低下の一因を担ってる説ないか?吸うをする時って、僕の生活の中ではシコってる時に母乳吸ってるところ想像して口をパクパクさせる時くらいしかないんだけど、ここでも下半身との共鳴を感じさせるものがあるな。赤ちゃんとかは「吸う」しかできなくて、ゼリーとか吸って薬を飲んだりするけど、大人がラーメン吸いたいのも、こういう、難しいこと考えずにただ快楽を感じたいっていう、行き過ぎた進化から退化したいっていう欲望なのかもしれないなと思った。みんな心の底では「ママぁぁぁ」って気持ちがあって、それをラーメンで発散してるんだろう。多分。
ラーメン屋って、どこまでをラーメンだと思ってるんだろう?ラーメンを楽しんでもらってまたリピートしてもらうには、最初の一口だけ超美味しい!って感じさせて脳を破壊して、あとはもう脳死状態で食べてもらって、ちょっと後で気持ち悪くなったり体重が少し増えたり肌が少し荒れたりしても、そこはそんなに考慮していないんだろうか。とにかく最初の一口の快楽の量を高めることだけを意識しているのではないだろうか。そして僕達は、後味の悪さを学習せず、あのひと時の快楽だけをそのラーメンの価値だと錯覚してはいないか、そんなことを考えてしまう。体重も肌荒れも健康状態の悪化も、一回行ったくらいではほぼ無傷なわけで、そういったゆっくりとした変化は人間は知覚できないし、快楽という差異の幅を広めるっていうことだけでビジネスとしては成り立つのかもしれない。美味しいの本質はわかりやすい差異なのか?
ラーメン屋って、お店の空気感もすごい。店内に入ったら感じる、照明の暗さ、ちょっと綺麗ではない感じの灰色の床、もわっとした匂いとか空気、活気づいたキッチン、狭さのわりに情報量の多い店内の装飾や案内など、地下街の飲み屋とか麻雀の店みたいな感じの、どこかで目つきの悪いおっちゃんがたばこを吸いながら野球観戦でもしてそうな、そんなちょっと反社会的な空気感を感じる(都会の方行ったら綺麗なところもあるけど僕の近所のラーメン屋どこもこんな感じ)
差異ではないために美味しいとは感じないが、実際は人間にとってとても重要な、新鮮な空気という素晴らしい自然の恵みが閉ざされてしまった世界。そこは、空気を吸うための空間ではなく、たばこやラーメンを吸ってドーパミンを分泌させるための空間である。ドーパミンの世界である。穏やかな世界の住民はそれを差異として認識するので、その場所に少し恐れを感じ染まってしまうことを不安に思うが、そこにずっといると差異ではなくなるので世界ってそんなもんか、と適応してしまうのかもしれない。「こういう世界もあるよね」から「世界ってこういうもんだ」に思想が変わってしまうと、あっちの住民になってしまう気がする。僕はあの空気感がちょっと怖いと感じるタイプの人間なので、そういう意味でもラーメンは控えたいなと思った。