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手のにっき 20200522
毎日酵母で米粉パンを作る、糠床を混ぜる、酵素シロップを混ぜるなどなど。わたしの手の常在菌と酵母や酵素たちとが仲良くなる。わたしの混ぜる行為で、いつまでもシュワシュワや、ぷくぷくが続くのだ。仲良くなるだけと言葉では簡単だけれど。好きも嫌いもなく、仲良くなる。それでもって美味しくてって、凄ない!?「毎日混ぜる」と意図すれば人の手が、みえないものを繫いでいると思うと、何でもないと思っていたことも、壮大に感じる。
日々手を使うこと、ルーティンとなることが増え、そういえば、利き手って、あるよな。とふと、感じた。
例えば、糠床、パンを捏ねるのは右手。字を書く、針で縫うのも。
酵素シロップを混ぜる、鉱物を選ぶ、オラクルカードを引く、もやしの髭を取る、なにか作品やものを選ぶ。これらは左手が主だ。
手相では、右手が「持って生まれた才能」、左手は「今現在の自分を現す」という。インドやバングラディシュでは、右手は日常動作、左手は穢れとされている。聖書にも、右手と左手のことを触れる箇所がある。詳しいことは、わからないけれど。無意識にしていることは、深いところでは、意識しているのかもしれない。
こうして客観的にみてみると、何でもないことかもしれないけれど、その行為に合わせた利き手って、あるのかしら。
度々お会いするスピリチュアルな方々と、握手や何かで、わたしの手と触れる機会があった。その方々は電気でも走ったみたいな、そんなリアクションをされることがあった。それが何を現しているのか、今もよく、わからない。わたしは何も感じてはいない。ただ、手には力があるのだとは、感じる。
何をするにも、わたしから、意図することが、だいじ。
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