☆こども病院30周年病院祭に行ってきたよ
中学2年生の時から15年近く通っていたこども病院。今年30周年ということで病院祭に来ました。
外のステージでは、近隣の小中学校の吹奏楽部の発表が会場を賑わしていた。
久しぶりにお会いしたドクターやスタッフ、ボランティアの人達ともお会いできた。
もう患者として来ることは無いこども病院。
・通院後、会計待ちで買った自販機。
・電話ができる夕方の限られた時間、病棟の外で「帰りたい」と泣きながら家に電話をかけた自販機横のイス。
・何もすることがなく、何度も何度も歩いた廊下。
・ストレッチャーで手術室に運ばれていく時見た天井。
ドクターやスタッフさんと話したとき、とても複雑な想いがあった。
10年前の卒業生が来校した本人側の気持ちと、来校された側の気持ちが混ざる感じ。
病室の中から外の様子を見てる子たちもいた。
患者としていたとき、自分もかつて同じ状況だった時がある。
「そっち」と「こっち」。
物理的に隔絶されている二つの世界。
「こっち」に来ても、治療や制限があるこどもたち。付き添う家族。
今日、当時闘病していた仲間にも会った。彼は地元の病院でMSWとして働いている。
「治療のことは思い出したくは無い。だけど、何故かここが落ち着く自分もいる」
今でも当事者会で活躍してる彼の言葉は、真だと思った。
病気なんてない方がいいに決まってるし、こどもの病気なんて特に「なりたくてなったわけじゃない」が大半だろうと思う。
闘病体験があったからこそ得られたことがある、は否定はできない。
自分の「あの時」に意味をつけなければ、やってられない。自分の「あの時」を、自分で無意味にしてしまったら、何のための苦しさだったのか。
その想いが「語り」や「気持ちが分かる」「あるある」なのかもしれない。
ただ、長期的に見て一番良いのは、「忘れること」だと思う。
忘れられるのであれば。「こっち」の世界で、ちゃんと生活ができる体と環境があるのなら。生活に時間とエネルギーをかけるだけの状況があるのであれば。あえて思い出すことなんて要らない。
僕も年々、病気でしんどかった時のことを頭が忘れることがある。
同時に、体が思い出すこともあったり。
闘病の後は、自分でカタをつけるしかない。
生きづらさの、その先へ。