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「人と同じは嫌い」を軸に生きてきた結果

日本で過ごした小中学生の頃は、常に人とちがうことがしたいと考えていました。

とはいえ、先生の言うことはちゃんと聞く優等生ではあったので、なんでもかんでもやりたい放題にやっていたわけではありません。

ある程度、社会の常識に従ったうえでの "奇抜さ" を目指していました。

クラス内で流行っている歌手やテレビ番組に興味をもたなかったり、グループ行動よりも単独行動を好んだり、みんなとちがうファッションをしたり、ただの天邪鬼のような感覚です。

それでも「自分って変わってるなぁ」と思える瞬間が大好きでした。

特に嬉しかったのは、180人いる卒業生が日本の高校に進学するなか、わたしだけが唯一アメリカへの私学留学を決めたことかもしれません。

卒業式で保護者に配られる進学先が記名されたパンフレットに「その他:1名」と書かれていたのを覚えています(笑)。

しかし、それは東京の田舎にある公立中学校に通う生徒のなかで特別な決断と見なすことができるわけであって、比べる対象が変わればその事実は変わります。

それからアメリカに飛び立ち、学校内で唯一の日本人生徒だったわたしは自動的に人とちがうアイデンティティを手に入れましたが、そこに執着することはありませんでした。

日本人ならではのアドバンテージはありましたが、それは集団としてのメリットを利用していることになります。

どちらかというと、自らの選択によって変わった存在になれることに意味があるのかなと気づきました。

つまり、すでに居心地のいい状況やコミュニティからぴょこんと抜け出す行為が好きなのかもしれません。

今いる場所で人とちがうことに挑戦することによって、成長を感じられるのが理由だと思います。

結局のところ、人とちがう選択をして現在の居場所を離れても、自分と同じ決断をした人たちが周囲に集まってきます。

大学に行かずにクリエイティブなことをしている人たちとたくさんの時間を過ごした今があるおかげで、今では高校卒業時には興味がなかった大学進学も考えているところです。

もし大学に行くとなれば、同じ覚悟を決めた人たちと出会うことになります。

そしてまた年月が経ち、そこからまた人とは "ちがう" 道を模索していくのでしょう。



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