コンプレックスが特技に変わる瞬間
先日の #コルクラボ 班活動用のMTGで、メンバーに
「さらが使ったり選んだりしてる言葉が個性的で面白いのに、理解しやすくて伝わってくるのは
そういう理由だったんだねー」と言われた話。
「そういう」がどういう中身だったかというと
以前 #note にも書いた
人と会う前に、会話や表情の準備(脳内シュミレーション)をめちゃくちゃする
という私の癖を、メンバーに説明したのが発端だった。
人と会う約束をすると、当日私がしたい話と相手の反応、その場合私はどう返したいか・どんな表情で話すか etc.
を、会うまでいくつも考えている(けっこうしんどい)
と、話の流れで言ったときに、上のような言葉が返ってきたわけだけど。
この言葉が、素直にうれしかった。
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「会話シュミレーション癖」があまり一般的ではないらしい、ということに気付いたのは1年ほど前だったと思う。
シュミレーションにかけるカロリーが高くて、予定を変更したり断ったりするとそのカロリーを無駄にした気がするから
そして相手の気持ちを勝手に想像(創造)しすぎて、断るとその気持ちをぞんざいに扱ったような罪悪感が生まれるから
一度決めた予定を、体調が悪かろうが忙しかろうが、変更することは負債に感じていたんだと、気付いた。
だけど乗り気ではなかったり疲れていたりする時もあるから
「後から断ってはいけない」という禁止は、実は断ることより大きな負荷になって自分に返ってくる。
このことに気付いて以来、私にとって想像(創造)や想定をすることは
他人から見たら「変わった」癖、つまり何かしらの「よくない」もので、自分にとっても負担になりうるものらしいという、
気付いてよかったような気もするけどコンプレックスにも分類されるような
モヤっとした心の分類箱に納められてきた。
だから、彼女が
相手の心をいつも想像しているから、言葉やアイディアに個性があっても相手が受け取れるように心を配っている
というニュアンスの、愛のある解釈を手渡してくれて、とてもとても、救われた思いだった。
他人の反応を気にしすぎる子供だったが故に無自覚にやってきた「変わった」習慣は
ストーリィや考えを外の世界に発するときの、相手に優しい形を選ぶという特技でもあったんだ。
そのことに気付けて、自分を少しだけ、好きになれた。
ラボメンとの愛のある会話は、こういう建設的な気付きをくれるから、幸せだ。
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ところで私は、毎日の読書で小説を読まない期間が長くなると、「心が枯渇している…!!」と脳内アラートが鳴る。
何らかの不足感への説明として、この「心の枯渇」という言葉を自分が選んだ背景には
人の心を食らって消化することで、人と向き合うためのエネルギーにしている自分というものの
半分無自覚な感知があるような気もする。
思えば、小説から私が得ている大きなものの1つは
心の動きの典型例や、実際の人間関係では出会えない例の人格の、膨大なストックだ。
たくさん食して、もしゃもしゃとかみしめて、味わって、まだ知らなかった多彩な香りや味を、心の機微という栄養と一緒にためこむことで、
私自身という素材は変えられなくても、相手の味を殺さない食器や分量であろうとしてきたのかもしれない。
ひょっとすると、愛されたくてぶくぶくと太りながら偽物の金を錬成するカオナシのようになっているのかも?しれないけど
自分の本当の心と対話を続けることで、媚びることではなく想うことに、アンカーをおろし続けていけたらと、思ってる^^
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!