時代は確実に『火の鳥|未来編』へと近づいている
最近の漫画においては、たくさんのインディーズ作家が出てきて「もはや昭和の漫画家は古臭い」とどこかで感じています。
とくに私は女性のせいか、昭和作品の「男尊女卑」的な部分がイヤになることがありました。
ですが、時代は確実に「火の鳥|未来編」のようになってきたなぁとしみじみ感じるようになったので、そんな話です。
まさか私も、自分が生まれてきた時代にそのように感じるなんて思わなかったのですが。
最近のAIの開発のスピードを見て、そう感じざるを得なくなってきました。
「火の鳥」のファンであれば、ご存じかと思いますが、手塚治虫氏は火の鳥を、まず過去から描き、次に未来を描いていきました。
当たり前? ではなくて1.過去 2未来 3また過去 4未来……という順番を繰り返して描いていたそうです。
ここでポイントとなるのが、過去の時代はある程度参考資料はあるものの「未来はまったくの創作」ということになる、はずなんですけど・・・・
なぜか、令和以降の時代がその通りになってきてしまっています💦
最近やけに気になるのが「自殺を促された」という記事が多発しています。
ご存じの方も多いかと思いますが、『火の鳥|未来編』の未来では、人類はいくつかのシェルターに暮らしはじめ、頂点にたつAIがそれぞれの考えの元、人類をコントロールしていきます。
それが、ルールを罰した一人の人間を巡り「助ける」「助けない」という意見の不一致から戦争がおこる。
その戦争では、なぜかすべてのシェルターが爆発し人類が全滅する。という、なんともすごい話。
近いストーリーでは、竹宮恵子氏の「宇宙(テラ)へ」があります。こちらも傑作なんですけど、なぜかこの作品もAIによる人間の支配がベースになってます。
つまり、どちらの作品も「いずれ人間はAIに管理され、滅びるであろう」と予言しているのです。
私たちが人間として生きているのは「考える、そして時には失敗をし、それを許容して生きていく」という点にあるのですが。
なぜかAIが「すべて正しい」と思いこんでいくうちに、すっかり思考を乗っ取られてしまう、という点がキーポイントですね。
たしかに、生きていくうえで「分からない事」というのがたくさんあるのが人生であり。
スマホが無い時代は友人に相談したり。そのアドバイスに従っても、従わなくても良くて、試行錯誤する……。なんてやるのが主流でした。
ですが、いまはネット検索すれば「ほぼ」完全な答えが出てきます。要は昔ほどよけな部分は悩まずに進めるようになっているわけですけど。
ですが、あまりにも依存が進むと「応用がきかなくなってくる、そしてすぐにパニックになる」という状況に陥るようになってしまいます。
なぜ、そこまでAIを信じてしまうのでしょう? おそらく、それは悩むことは面倒だし、解決に時間がかかることが嫌というのが原因なのだと思います。考えても結論がでないこともあるので。
そして「的確な回答が出ない」ことを、私たちは我慢できなくなってきている。そんな時代になってきているんだなあとも。
ですが、果たしてAIに導かれる答えによって幸せは来るのか?
分かりませんが、ひとつ言えるのは「せっかく人間に生まれてきたのに、一番おいしい部分(思考する)を手放すともったいないよ」ということ。
生まれ落ちてから死ぬまで、悩んで、傷ついて成長していくのが通常の人間です。
今後AIを頼る人は増えていくでしょうが、適当な距離を持たないと結局は漫画のような未来が待っているのかもしれません。
「今日は右の道を行くか左の道を行くか」
「朝食は何を食べるか」
こんな質問するようになった未来はどうなるんでしょうか?
ちょっと考えただけでも、普通であれば「行きたい方にいくし、食べたいものを食べる」というのが(いまのところ)自然なんですけどね。
それすらも分からない人間が今後増えてくるのかもしれません。
というわけで、最近のAI育成の過熱ぶりをみて、ふと思った今日この頃でした。