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(初恋)ラボ・パーティーに10年以上いた私におきたこと
いわゆる団塊の世代。子どもがまだたくさんいた頃、母の友人がラボ・テューターなるものになってしまいました。
その人は押しが強く個人的には「ちょっと苦手」。ですが、ひっこみ事案な私をかなり強引にさそって
「・・・だからね。いいでしょ?」
みたいな説得をえんえんとされ、頷いてしまったのが運の尽き。
なんと、その日から私はラボの会員になってしまいました。
毎週火曜日わからないまま公民館に通い、小学校から高校まで
英語での寸劇やダンスを繰り返していました。
正直「楽しくはなかった」です。その頃は母に「NO」といえなくて、ズルズルと続いてしまいました……。
ですが、長く続けていたことであることがおこりました。
それが「初恋」です。
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ラボをご存じの方でしたら知っているかと思いますが。16歳前後で夏休み、交換留学生みたいな感じでアメリカなどの海外へ行くことがあります。
私ももれず、アメリカのミズーリ―州に行くことになりました。
迎えてくれた先は敬虔なプロテスタントで、人種差別のひどいミズーリ―州でも日本人の留学生が多い場所でした。
迎えてくれた先はトウモロコシを作っていました。スティーブンキングの描く、あの果てしないトウモロコシ畑。そのままです。
ホストファミリーはとても親切で、あっというまに緊張感がとけたのを思い出します。
で、初日の夕方。お父さんとお兄さんが農作業から帰ってきました。
「兄だよ」
といわれ、振り返った瞬間。
私はもう一瞬で恋に落ちてました( ´艸`)
なんというか……、静かなのにとても笑顔が素敵だったんです!で、1カ月間。やはり第一印象は崩れず、お兄さんはとても物静かなイイ人でしたー✨
正直「このためにラボにいたのか!」と思ってしまった。そんなわけで日本には帰りたくないと、最終日は号泣しておりました。(涙
ですがアメリカに留まることはもちろん無理。しぶしぶ帰国し夏休みから戻ってくると、仲間もいろんな事がおきてました。
「ホームステイ先のお父さんが、行った翌日に逮捕されていなくなった」とか。
「兄弟姉妹にいやがらせされた」とか。
「めっちゃダンスをして毎日ノリノリだった」とか。
まあ、いろんな体験をしていたようです。
私も類にはもれなかったけれども、バーベキューをしたり、豚の競売上にいったり、車でカナダまで連れて行ってくださったり、かなり素晴らしい体験をさせていただきました✨
一番の思い出がアップルパイ。お母さんの作ってくれたパイの味は素晴らしくて、あんな味に出会いたいと、いまでも物色中です(笑 。
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自分でも何度かチャレンジしましたが、あの味にはとうてい叶いません。
いまでもミズーリ―州の広大な土地と、ミシシッピ川を思い出します。風と共に去りぬとか、トムソーヤ、そしてスタンドバイミーはこんな風景を経て描かれたのかなーとか想像してます。
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先生はアクティブな昭和女子
大きな思い出はアメリカで過ごした夏休みですが、それ以外にもたくさん、いろんなことがありました。
私の入ったパーティーの先生はとてもアクティブでした。
海外からもガンガンホームステイをお招きしました。その子たちと一緒にラボ仲間で(20人くらい?)伊豆に旅行したことがあります。
よく考えれば大人は彼女一人。息子さんは二人いて高校生と中学生。けっこう無茶ぶりな強行突破です💦
行ったのは下田です。午前中はまあいいけれど、午後はドドンと波が高くなって超ワイルドでした。
ですが、先生を始め教え子は全員、波にのまれました。いえ、沖で遊びました。。。
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「なんで断らなかったんだろう…」と今から考えても不思議です。ですが、50代のテューターが真っ先に海に飛びこんでいるんですから(汗
いまだったら、どうなんでしょう?
日本に来たアメリカのヤンキー女子は先生のアクティブさに大喜びで海に飛びこんでいたのを思い出します。
こんな風にパーティー活動とは別に、いろんなイベントがありました。ひな祭りもあったし、5周年記念やら10周年記念やらなにやら…
大きなイベントの時は子どもが大きな家に集まり、先生の為にテッシュで花束をつくったり、ミシンを夜遅くまでかけました😿
ひょっとしたらクレーム案件になるんでしょうか?でもそれを「仕方ない」と思えるような、個性あふれるテューターだったんですよね。要はおもろい人だったのです。
母親たちも、先生があまりにも突出していたので、最後は苦笑いで協力していたのを思い出します。
大正、昭和初期の人ってかなり体力がある
正直、コレですね。。。
ラボの先生は私と一回り違うのですが、なみの体力ではありませんでした。
いま立花さんが世間をにぎわせていますが、あのくらい体力があります。
毎週東京~福岡を往復していましたし、京都くらいなら東京から新幹線の自由席で立ったままでも平気で遊びに行ってました。
たしかその頃60代後半?だったと思いますが。。。ついていけないのは、体力だけだったのか、不思議です。他のテューターとはちょっと違うかもしれませんね💦
ラボ仲間同士で結婚した人が多い
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とまあ、こんな風で大人になったいまでも先生とは仲良くしています。
仲間とは疎遠になりましたが、時が過ぎふり返ると、あることがわかりました。
・ラボに通う子供は高学歴で就職先がいいこと
・ラボ仲間同士での結婚率が高いこと(離婚率は低い)
・ラボ仲間のお母さん同士の付き合いは長いこと(マウントなし)
・英語は上達しないが度胸はつくこと
身の回りでも10人いた仲間の4人くらいはラボ仲間で結婚しています。うち1組は親と同居(笑
まさか、ラボに通っていた子どもが自分の身内になるとは。
お母さんも予想だにしなかったかもしれませんね(笑
英語は? だけどメリットは多すぎるかも
正直なところ「英語は上達しない」と思います。バスケットを習うなら、やはりプロのいるところへ通うのがいいのと一緒です。
ラボというのは「子どもが集まる場所」なんですよね。子どもが4歳でも2歳の子がいたら、率先してリーダーになれる。こんな風にして子どもの可能性を開く場所なんだろうって思います。
私の周りはすっかり大人になってしまいましたが、仲間の何人かは「パパ会」をしているそうです。会社以外のコミュニティにも貢献しているんですね。
ひょっとすると、私のテューターはかなりの熱血指導者だったので例外が多いのかもしれません。ですが、意外な体験ができるのがラボの魅力かなと思い、つらつらと綴ってみました。