内診台の上の妻
赤子、無事12週の検診をクリアしました。
あ〜よかったよかった。
12週過ぎると流産の可能性は大きく減ると言われているので、「12週の壁」なんて言葉もあるみたい。依然として母の体調には波がありますが、次は安定期と呼ばれる16週を目指してぼちぼちやります。16週になったらヨガとか酵素浴とかマッサージにも行けるから、それを楽しみに……
ところで、わたしの通っている産科は、コロナ対策のため、診察室には本人しか入れません。前は家族も一緒に入ってエコーとか見れたらしいんだけど、いまはそれができない。
もちろん、動いている赤子の様子を一緒に見たい気持ちもあるけれど、それよりもわたしは、内診台の上にのっているわたしの姿を見てほしい。
内診台。あれ、恥ずかしいよね。別に恥ずかしいことしてるわけじゃないんだけど、恥ずかしい。お医者さんとはいえ見知らぬひとの前で股を開き、身体の中で(色々な意味で)もっともデリケートなゾーンに、医療器具とはいえ冷たくて硬い棒をつっこまれる。若い人が婦人科に行きたくない気持ちもよく分かる。ある程度生きる術としての厚かましさを身につけたオバサンでも、いまだに慣れないのだから。
男性にとっての男性器と、女性にとっての膣を同等に語ってよいのか、性器に対する思い入れ(?)には個人差あるだろうからわからないし、何よりわたしは膣しか持ったことないのでちんこを保有する感覚は全くわからないが、男のひとだって、自分のちんこを人前に晒してその先から見知らぬ器具をつっこまれるのは、きっと嫌だよね。
男として生きることも、女として生きることも、それぞれに、それぞれが分かり得ないものがある。男のひとは、女のひとがどんな体勢で内診台にのぼって、どんな気持ちで足を開いているかなんて、想像しようと思ったこともないと思う。それは仕方ないし、当然だ。でも、見てほしい。わからなくてもいいから、見て、知ってほしい。なぐさめがほしいわけじゃない。ほめてほしいわけでもない。ただ、知っていてほしい。それでなにがどうなるわけじゃなくても。
そんなことって、あるよねえ。
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