『うたた寝』
妙にドロドロとしたサイダーを飲み、気づけばもう夢見心地だ。
足先はじんわり、思考はのんびり、ライトは断じて暖色がいい。
やたらと思い出すのは少年時代。
けれど過度なノスタルジーには注意が必要。
"チキンライス"、"Moonchild"、"カントリーロード"
そして、"名も知らぬボサノバ"…
とにかく小さい音であればあるほど良い。なんならボリュームはゼロでも構わない。
狂乱の騒ぎとは全く無縁のうたた寝。
"傾眠"は素晴らしい。人間何ごとも寝たら忘れる、しかし寝ないと覚えない。
否認の心理を否認して懺悔というの名の郷愁へと向かう。
かれこれ10回は聞いただろうか。さすがに気が遠くなってきた。友人はすでに寝ているようだ。
『耳をすませば』は見たこともないしたぶん今後も見ないだろう。ジブリのノスタルジーには辟易とする。宮崎駿に求めているのは"棒読み"だけだ。
そもそも映画を見て感情を入れ込んだり登場人物に共感したりというのはほとんどない。極論、人間なんて出てこなくたっていい。
と、去年ジェームズ・ベニングを見たときに思った。
4、5年前、シュルレアリスティックな映画に熱狂していた時期もあったけども、今はナミビアのライブカメラを見てる方がずっと刺激的に感じる。当然といえば当然だ。
「純粋に形式的なアバンギャルドの実験が保守的銀行家の住居の内装に似合うこと、またシュルレアリストのモンタージュが広告産業の言葉に似合うことが証明された…」
雨が降っている。散歩中見かけた水気のない用水路を思い出す。
いよいよ眠気に抗えなくなり、自閉の扉が開く。
(John Hopkins『Music for Psychedelic Therapy』)
何度目かのうたた寝をし、ふと目が覚めるとRam Dassの言葉が聞こえていた。