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バガンのピタカ(三蔵経)のはなし

8月1日から観光再開となったスリランカ・ポロンナルワ遺跡です。バガンにとってはまさに兄弟といってもいい存在で、バガンがビルマ史上初の統一王朝の王都であるのと同様、ポロンナルワも同じ11世紀にシンハラ王朝が再興した都です。

タトゥン国を滅ぼしたバガンは、バガン遺跡に残るピタカタイに三蔵経典を納めますが、当時ヒンドゥーの侵攻によって国家が寸断されていたスリランカ・シンハラ王朝にもこの経典がありませんでした。そしてスリランカ考古庁の解説によりますと、バガン王朝が大勢の僧侶とともにティピタカ(三蔵経)を寄贈してくれたのだそうです。

弱冠30歳のシンハラ王ヴィジャヤバーフ1世は、悲願であったセイロン島統一を果たし、上座部仏教を再興、バガンから、つまりタトゥンからつないだ三蔵がスリランカに戻ることになるのです。ちなみに、このパーリ三蔵仏典は現在までそのまま継承されていますが、インド仏教時代の形態を原形のまま伝える仏典としては現存する唯一のものとされています。

いまでは多くの観光客が訪れるようになったバガンとポロンナルワですが、若きシンハラ王が国土の奪還と仏教の復活に命を懸け、それを遠い海から支えた新興仏教国バガンがまったくの同時代だというのは、歴史のロマンを強く感じます。

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