音楽がやりたい#6 〜考え込むより表現した方が体に良いのは分かった〜
飼っている金魚が、水槽の底でじっと動かず、いつもより早く口をパクパクさせ、エラを動かしている。苦しそうだった。
金魚の体調不良は、原因がはっきりするまで観察しながら水替えと断食をする。もしかしたら水温の低下による不調かもしれないと思い、ヒーターも導入した。
なんとなく、腹が張っているようだった。
とりあえず腹の中のものが全て出るのを待つしかないが、目を離した隙に何かサインを見落とすかも知れないと思うと側から離れられなかった。
メスなので、もしかしたら卵が詰まってしまったのかもしれない。
或いは、底水温による便秘、もしくは両方…?腎臓が腫れるという病気もあるらしい。何れにしても、腹が張って苦しそうなので、何でもいいから出てきてほしかった。
何でもいいから、出て欲しかった。
1日半待ったところで、大量の糞が出た。
便秘だった。
金魚は体が軽くなるにつれて動きも増え、泳ぎが軽やかになっていった。
その夜、自分にとってすごく自然な流れで、bandcampのアカウントを作った。出来ていた、に近い感覚だった。
そして、何の躊躇いも無く、勇気を出すこともなく、ただ淡々と、去年録った2作品を公開した。
私にとって、作品を作る(自分の作ったものと対峙する)こと、まして、それを世界に発表することは、長年の恐怖だった。
私にとって最大の壁が、金魚の便秘解消と時を同じくして、呆気なく、スムーズに解決した。
こういう時、宇宙は本当に面白いと思う。
数日前から、自己理解が一段深まった。
親の過干渉による自己肯定感の低さや、注意欠陥型多動症の傾向(自己診断)に加えて、"エンパス"というやつが加わった、エンパスの中でも、"逆エンパス"というものがあり、自分から気を周りに発信して、その跳ね返りから情報を得ようとする、発信型のエンパス。(詳しく知りたい方は調べてください。)
その逆エンパスにより脳が処理している情報が多すぎる、更に、不安感やフラッシュバックの反復によるトラウマや考えすぎてしまうので、脳のメモリが一杯一杯で疲れやすいことから、自分が抱えている問題のいろいろなことが紐解けていった。
発信型のエンパスなので、発信するエネルギーが強い。
そういうエネルギーバランス・仕組みで生きている。
自分自身がハッピーでいれば、周りも自然とハッピーにしてしまう人であり、ネガティヴな時は、周りも巻き込んで変な空気にしてしまう。思い当たる。
発信型の人間は、発信することでエネルギーのバランスを正常に保つことができる。もともとそういう仕組みだから。
自分の作品を自分で評価するのが怖いし、評価されるのも怖い。
それを理由に、表現することから逃げていた。
けれど、自己理解が深まったことで、表現しないということが自分にとって最も相性の悪い行為だったということが分かった。
それが分かった途端、ただ、出すことができた。
無限に広がるインターネットの世界の片隅に、即興を一発録りした演奏を、そのまま載せる。評価されなくてもいいし、聞かれなくてもいい。出すことに、意味がある。
今は、そういう境地。
テリーさんの弟子という立場で作品を発表すること自体、とてもプレッシャーを感じる。
一生懸命その事実と向き合い続けてきたけれど、ただ、気が滅入るだけだった。
テリーさんが来日して、明日で3年が経つ。
コロナ禍、何とかテリーさんをあらゆる危険から守り、平和で安全な生活環境を整え、必ず家族との再会を果たすのだ。絶対に果たすのだ。そういう思いで、毎日過ごしている。
弟子という、一般的には想像のつきにくい生活、立場。
いろいろな目を向けられてきた。
実績が無い、何者でも無い、何だかわからない存在として見られる。
仕方が無いことだと分かっていても、そういうこともあるだろうと想定していても、実際にそういう目線を向けられると辛いものがある。
私はただ、テリーさんが安全で平穏な環境で暮らせるように努力しただけなんだけど。
ここ数ヶ月は、そう思わざるを得ない出来事が立て続けに起きた。
実績が無いこと、実力を評価されることを考えるのは、十分過ぎるほどやった。一生分やったんじゃ無いかな。
そろそろ、脳神経の疲労が、冗談にならなくなってきている実感がある。
気楽にやらせてもらおう。
そういう気持ち。
聞いてもらっても、聞いてもらえなくても、コメントもらっても、もらわなくても、良い。
今は、ただ、自分の為に、ひたすら、出るものを出していこうと思った。