忌録考察「光子菩薩」後編

※注意

・「忌録: document X」のネタバレを含みます。
・「忌録: document X」考察まとめを参考にしながら、私個人が考察した内容です。異論は認める。
・「忌録: document X」の「光子菩薩」に関する考察です。
・考察元の作品はこちら
「忌録: document X」

‪「忌録: document X」考察まとめ - Togetter


・他のはこっから


※手紙を書いた人物について

 作中、「私」という一人称のみで語られており、名前が出てきていない手紙の筆者の正体について考えていく。

◯読み取れる筆者の情報

 細かいことをいうと、まぁ色々矛盾だらけになるんですけど、とりあえず羅列していきます。

・光子菩薩の護符に関わった時期
 
明言されているのは、光子菩薩の護符の研究の為に5人の科学が集められた時期で、大倉亀太郎、岩城武雄と同じ時期から。
 しかし気になる点があり、集められる以前の段階である科学的な検査の段階の説明の部分で「我々」という一人称を用いているところである。このことから、奥薗博士、由利公望と同時期である科学検査の段階から関わっていた可能性が高い
 研究には光子菩薩の研究室が閉鎖される時まで、最後まで関わっていた。

・筆者の立場について
 とりあえず、何を専攻しているかは分からないが学者であり、本人曰く「末席の学者」ということ。
 奥薗一三、大倉亀太郎を「博士」と呼び、由利公望と岩城武雄を「君」で読んでいることから、5人の中では中堅どころの学者だった様子。
 また、冒頭の言葉から由利淑子の夫である可能性がある。

 上記の情報をまとめるとこんな感じ。

  • 光子菩薩の研究には初期から関わっていた可能性が高い人物

  • 由利淑子の夫で、職業は学者

  • 奥薗一三、大倉亀太郎を博士と呼び、由利公望と岩城武雄を君と呼べる人物


◯筆者の候補者

 多くの人が色々考察しているが、まだ決まった確定には至っていない感じで、考察によく挙げられる候補者とその根拠を書いていく。

・由利公望
 
まず、由利淑子の夫であるからとして由利公望が筆者であるという説。
 もちろん、そのまま"私"の部分に由利公望を入れてしまうと由利公望が2人いる事になってしまうのだが、作中で「由利君」と呼ばれている人物を「由利淑子」と考えて、研究チームには「由利」が2人いた、と考えて矛盾を解消する。
 ただ、科学検査の段階で「由利公望君」と書いてあることと、心霊科学者が辟支仏をヘキ支仏と間違えるのか、といういわゆる「ヘキ問題」が残る。

・大倉亀太郎
 
冒頭の「愛する淑子でしょうか」の部分を正体を隠す為のブラフであると捉えて、筆者を大倉博士と考える説。
 根拠としては、最後の方で「視神経乳頭には視細胞がない為〜」という説をこれでもかという程に平仮名で書いてあるから、脳神経学者である大倉博士が由利公望を騙って手紙を書いたのではないかと推測している。
 問題点としては、5人の学者の中に「大倉亀太郎」が2人いる事になるのと、ハッキリとした根拠がないのが問題点である。

・氏名不明の第三者
 
大倉説と同様に淑子の夫であると言うことは、ブラフであり大倉氏でもなく、名前の明かされてない第三者が筆者であるという説。
 矛盾は上記の2人の説より無くなるものの、ミステリー的には釈然としない感がある。

 以上の3つがよく話される説。また岩城武雄を筆者とするのもあるが、大倉説と大体同じ。

※光子菩薩について

 光子菩薩には幾つかの矛盾点がある。光子菩薩の護符がどういうものかも含めて、これについての考察をまとめていく。

◯光子菩薩の護符とは?

 手紙の終わった後に載っている光子菩薩の護符。作中で語られている特徴についてなんかをまとめてみる。

・光子菩薩の護符の由来
 
作中で語られているところでは、「札撒きが正月過ぎ頃に谷中界隈で配ったもの」である。この札撒きが光子菩薩の護符を作った本人かはよく分からない。
 光子菩薩そのものについては、そう言った菩薩は実在せず架空のもの。作中では光子菩薩は辟支仏と呼ばれる、独力で悟りを開いたと錯覚した者、としている。簡単に言えば、新興宗教の教祖的な感じかなと。
 手紙の後に載っている光子菩薩の護符に書いてあるお経の様なものはざっくりというと「華厳経」や「菩薩瓔珞本業經」というものに乗っている「菩薩五十二位」と呼ばれる、菩薩の階位や修行段階などで、お経と呼べるかは怪しいところ。

・光子菩薩の護符に暴露した際の症状と条件
 
作中、実験で判明した事としては

  • 潜伏期間は1週間程度(奥薗幸江のケースでは潜伏期間がなかったので、未確定な情報)

  • 暴露すると急激に記憶が欠損していき、3日後には自分が誰だか分からなくなる

  • 3日後に超昏睡状態(脳死)になる

とある。また、光子菩薩の護符が効果を発揮する条件がある様で、以下のように考えられる。

  • 光子菩薩の護符は完全な状態で無ければならない。(3つに分割した状態では症状が出なかった。)

  • 光子菩薩の護符は両眼で見なければ発症しない可能性がある。(吉田弘道の事例で、光子菩薩の影響が言及されていない為。ただし、確定的な要素ではない。)

  • 光子菩薩の護符の影響は、視認した眼球を切除する事により抑える事が出来る。(吉田弘道の事例と眼球切除の実験、奥薗博士が娘の両目を切除しようとしたことから)

 結果として分からなかった実験は、途中で中断された奥薗博士の行っていた「識字能力の無い動物に見せても発症するのか」という実験と、実験が行われなかった「視神経乳頭が関係しているのではないか」という仮説の2つ。
 

※疑問となる点

 ここまでの考察を踏まえると、手紙の中で幾つか気になる点が出てくる。これについてまとめる。

◯警察官の超昏睡

 まず疑問となる光子菩薩の本文を抜き出してくる。

 満田の死の翌日、まず二人の警察官が勤務中に突然倒れ、昏睡状態に陥りました。その後も時を置かずに三人、翌日には六人、三日目には実に十七人もの警察官が白昼に何の前触れもなく倒れたのです。

忌録 document  X「光子菩薩」より

 問題は「前触れも無く倒れた」という事実。
 「発症から記憶を欠損していき、3日後に超昏睡になる」ということを考えると、少なくとも「何の前触れも無く」とは言えないだろうし、満田敏夫の死の翌日に倒れた2人の警察官については「勤務中」に倒れたとある。
 また、合計して28人の警察官が倒れているのに「1週間程度潜伏期間」が無いというのは、かなり不自然に思える。

◯満田敏夫はなぜ対処法を知っていたのか

 光子菩薩の護符をもらった人物については「札撒きをはっていた」とかそういうので説明はつくが、光子菩薩の護符の対処法として「眼球をくりぬく」のが有効であるとなぜ知っていたのか、もしくは何故それが有効だと考えていたか、というのはかなり疑問が残る。
 確定できる情報はない為、はっきりとは言えないが可能性として考えられるのは

  • 誰かにそう吹き込まれた

  • 光子菩薩の組織と関わりのあった、又は組織から逃げてきた人間で、対処法を知っていた

  • 何者かがそう対処する現場を見て知った

という感じである。どちらにせよ、満田敏夫自身、だいぶ黒い人物であったと考えられる。

※個人的なまとめ

 まぁ、みさき同様何も分からん。
とは言え、みさきよりはちょっと考えたことがあるので、個人的に思ったこうではないかというのをまとめてみる。

・光子菩薩の護符はただのお札で、原因は別にある。
 
警察官の昏睡の疑問から考えると、やはりそもそも光子菩薩の護符のせいでは無い、というのが妥当な結論の様な気はする。だから科学検査をしようが、護符を研究しようが何も分からなかった。
 ただ別の原因は何かと言われると、それについてはハッキリとは分からない。

・筆者は由利公望、"私"は存在しない。
 
簡単に言えば二重人格。個人的にはこれが1番しっくり来る気はする。手紙の最後の方にある「由利君は人が変わった様に研究に没頭し始めた」という記述通り、手紙を書いている時点では既に由利公望が精神病を患っており「由利公望ではない第三者として由利公望の所業を告白する手紙」を書いたのではないかと思う。
 更に言えば、光子菩薩の護符自体がフェイクで、本当は別の化学物質か病原菌の研究の話なのではないかと思う。根拠らしい根拠はないけど、さもありなん!って感じだけでそう思ってる。さもありなん!


 以上、光子菩薩の考察終わり。あとは頭がいい人が教えてくれるよ。がんばれ

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