【僕のヒーローアカデミアの作者】堀越耕平先生の経歴|2度の連載打ち切りから看板漫画家へ
こんにちは。saraです。
今回ご紹介するのは、王道ヒーローバトル漫画「僕のヒーローアカデミア」の作者で有名な、堀越耕平先生です。
ヒロアカは2014年から週刊少年ジャンプにて連載が開始され、 2021年現在までの累計発行部数は5000万部を突破。
アニメ化・映画化・舞台化の他に、ハリウッドでの実写映画化も決定するなど、日本のみならず、海外でも人気を誇っており、名実共に少年ジャンプの看板漫画となっています。
「友情・努力・勝利」が揃った胸が熱くなるストーリー展開、強烈な「個性」を持った魅力的なキャラクター、個性をフルに活かしてぶつかり合う迫力満点のバトル描写で大人気作品となったヒロアカですが、
堀越先生は決して順風満帆な漫画家人生という訳ではなく、ヒロアカの連載に至るまでに、漫画家として多くの苦労を重ねてきています。
過去には、3回短期打ち切りになるともうジャンプでは書けなくなると言われている中で連載作品が2度の打ち切りとなり、「自分はもう漫画が書けない、漫画を書く権利すらないと」思い悩んでしまうほど、低迷した時期もあったそうです。
今回は、そんな崖っぷちから這い上がり大ヒット漫画を生み出した堀越耕平先生の経歴やヒロアカが誕生するまでの経緯についてご紹介していきます。
動画版はこちら。(YouTubeも見にきてくれるととても嬉しいです。)
経歴
1986年11月20日生まれ、愛知県出身。
幼少期から絵を描くことが大好きだったそうで、幼稚園の頃はよく自分の頭の中で想像したものを絵にして描いていたそうです。
小学生の頃に「ロックマンX2」のキャラを描いた際に友人が褒めてくれて「この絵ちょうだい」と言ってくれたことがとても嬉しくて、この時に「絵を描く仕事=漫画家」という発想から漫画家になりたいという夢を抱いていたそうです。
中学生の頃に「スパイダーマン」の映画を見たことがきっかけで大のアメコミ好きとなり、アメコミ特有のキャラの置き方や影のつけ方などの技術は今でも学びながら自身の作品に落とし込んでいるそうです。
特にヒロアカは、オールマイトのキャラデザやバトルシーンの擬音表現など、様々なアメコミ要素が散りばめられていることから、少なからず影響を受けていることが垣間見えますよね。
高校生時代には、ONE PIECEコミックスの巻末にあるイラストコーナー「ウソップギャラリー海賊団」に応募し、これが見事採用され、実際にONE PIECEの23巻には堀越先生が描いたスモーカーのイラストが掲載されています。
高校卒業後は名古屋芸術大学デザイン学部のイラストレーションコースに進学。大学2年生・19歳の時に夏休みを使って初めて1本の漫画を描きあげます。
高校生までは漠然と漫画家になりたいと思いながらも漫画を部分的に描いたりすることはあったそうですが、本格的にストーリーを考えて1本の漫画を描くのはこの時が初めてであり、「漫画はどうやって描けばいいのか」を試行錯誤しながら描きあげたそうです。
この初めての作品「ヌケガラ」で第72回・手塚賞の佳作を受賞。
その後、大学卒業前の2007年に描きあげた読み切り作品「テンコ」が赤マルジャンプ(2007 SUMMER)に掲載され、漫画歴2年半で漫画家デビューを果たします。
初めて描いた漫画で賞を受賞したり、本格的に漫画を描き始めてから2年半という驚くべきスピードでデビューを果たすなど、この頃から堀越先生の漫画家としての才能が垣間見えますよね。
そして、デビューから1年後の2008年には、ヒロアカの前身となる読み切り作品「僕のヒーロー」を赤マルジャンプ(2008 WINTER)に掲載します。
逢魔ヶ刻動物園
その後、2010年から週刊少年ジャンプにて初の連載作品「逢魔ヶ刻動物園」の連載をスタートさせます。
「逢魔ヶ刻動物園」は、呪いによりうさぎになってしまった園長とアルバイトの女子高生が、動物たちと協力し天下一の動物園を作るために様々な問題を解決していくハートフル作品です。
連載中は読者に読んでもらえることがとにかく嬉しかったそうで、「どうやったら次も読んでもらえるのか」「キャラに興味を持ってもらうにはどうすればいいのか」などを試行錯誤するのが楽しくて仕方なかったそうです。
当時から新人離れした高い画力が評価されていましたが、残念ながら「逢魔ヶ刻動物園」は全37話・全5巻とそこまで長く続かずに連載が打ち切りとなってしまいます。
その後、2011年に少年ジャンプNEXTで「宇宙少年バルジ」を掲載。
戦星のバルジ
そして、この読み切りを基に翌年の2012年から少年ジャンプにて「戦星のバルジ」の連載をスタートさせます。
連載2作品目となった戦星のバルジですが、残念ながらこちらも全16話・全2巻と「逢魔ヶ刻動物園」よりも早い段階で打ち切りとなってしまいます。
ちなみに、戦星のバルジの2巻の巻末にはおまけ漫画が収録されており、ここに登場する演技オタクのキャラクターは担当編集から高く評価され、このキャラクターが後のヒロアカの緑谷出久のモデルになったそうですね。
スランプ〜ヒロアカ誕生
「戦星のバルジ」の連載終了後、堀越先生は2度の打ち切りにより「もうマンガは描けない」「自分に漫画を書く権利はない」と酷く落ち込んで思い悩んでしまったそうです。
一時は、新しいネタも思いつかないほどのスランプに陥ってしまいますが、このタイミングで担当編集が変わり、担当さんとのカウンセリングのような話し合いを続けた事で、徐々に立ち直ることができたと振り返っています。
また、スランプの時に、同人誌に短編作品を投稿しており、1本の作品を描きあげたことで「自分にもまだやれるんじゃないか」と思えるようになり、それが自信へと繋がっていったそうです。
堀越先生は2度の打ち切りとスランプの経験から、次回作は「自分が描きやすくて描きたいと思えるものを描くべきだ」と考えるようになります。
そして、過去に掲載した読切漫画「僕のヒーロー」が世界観・キャラクター共に今まで描いた漫画のなかでもっとも描きやすかったことを思い返し、「また連載するならこれしかない」との結論に至り、これがヒロアカの誕生へと繋がっていきます。
僕のヒーローアカデミア
「僕のヒーロー」は主人公がサラリーマンでしたが、ヒロアカの連載にあたり、主人公をサラリーマンから学生に変更しています。
主人公をサラリーマンから学生に変更した理由について、堀越先生自身に一般的な社会人経験がないこともあり、サラリーマンにしてしまうと少年漫画ではムリだろうと考えた結果、主人公を学生に変更したそうです。
また、当初は主人公が敵とガンガン戦うストーリーを考えていたそうですが、自分はヒーローものの、どこにワクワクしていたのかを振り返ってみたところ、「ヒーローになるまでの経緯」に惹かれていたんだと気付き、自然と学園もので徐々に強くなっていく学生が主人公の設定になっていったと語っています。
当時、ヒーローものは「ワンパンマン」と被っており「やりたいけど、もうワンパンマンがあるし...」と悩んでいたそうです。
担当編集に相談したところ、「キャラが違えば別物だよ」と背中を押してもらいヒーロものを描くことを決めたそうです。
また、「職業ヒーロもの」や「ヒーローもの+学園もの」の先行作品としては、「TIGER & BUNNY」や「ウイングマン」などがあり、堀越先生も先行作品について認識はしていたそうですが、意識してしまうと比べてしまってどうしても凹むので、意識しないで自分が楽しく描けるようにしていると語っています。
ちなみに、ヒロアカの1~3話までの制作にはおよそ1年もの時間をかけたそうで、連載前から並々ならぬ思いで挑んでいたことが感じられますね。
こうして、試行錯誤の末に誕生した僕のヒーローアカデミアは2014年から少年ジャンプにて連載が開始され、全世界累計発行部数が5,000万部を超える大ヒット作となり、長くジャンプの看板漫画であった「NARUTO」や「BLEACH」が完結した後は、ヒロアカが「次のジャンプの看板作品」と称されるまでに高い人気を獲得しています。
また、「次にくる漫画大賞」をはじめとする数々の賞を受賞しており、ヒロアカが「この漫画がすごい!2016」にランクインした際には、「自分の実力以上の評価をいただいている状態だ」と語っており、堀越先生の謙虚な性格が垣間見えますね。
ヒロアカのアニメはシーズン5まで放映されており、2022年10月からは、シーズン6の放映も決定。
アニメ映画はこれまでに3作品が公開されており、3作品目となる「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールド ヒーローズ ミッション」は、興行収入が30億円を突破する大ヒット映画となっています。
アニメの第6シーズンと共に、終章が開幕している今後の本誌での展開も非常に楽しみですね。
まとめ
今回は僕のヒーローアカデミアの作者で有名な堀越耕平先生についてご紹介しました。
2度の連載打ち切りという崖っぷちの状態から這い上がり、大ヒット漫画を生み出した堀越先生。
2021年12月に行われた「ジャンプフェスタ2022」では、堀越先生から「ヒロアカ原作はスムーズに進めば丁度あと一年ほどでゴールを迎えるのでは…」と言ったコメントも送られているため、完結に向けて今後の展開から目が離せませんね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
またね。