(2015)排他性の倫理──ダダイストはファシスト党で何を考えているか──

 全てのナントカイズムは、それが芸術流派を表すものだろうと政治体制を表すものだろうと各々固有の原理原則を持ち、その原理原則に即さないものに対しては排他的であるべくして排他的です。
 筆者は学生時代から、20世紀初頭以降のひとつの芸術流派を表す用語である「ダダイズム」(※1)に興味を持ち、主に、その始祖とされる詩人、トリスタン・ツァラについて調べてきました。卒業後、ダダイズムの実践としてファシスト党「我々団」(※2)に入党し、以後7年間、20世紀初頭以降のひとつの革命運動を表す用語である「ファシズム」に参加してきました。ダダイズムとファシズムの共通点のひとつは、ナントカイズムを標榜しながらその「排他性」に自覚的であり、更にはその「排他性」の害悪に自覚的であり、かつ、あえてその立場にとどまるということです。以下の稿は、ダダイズムから、「排他性」という要素を掬い出し、「排他性」という言葉にまつわるネガティブなイメージを疑問に付し、それをファシズムと関連付け、芸術と政治の両方のシーンにその有効性を問うものです。    
  
 ダダイズムの場合、排他性への自覚は、「宣言」を出す、という「形式」に現れています。「ダダは原理原則には反対だ。原理原則が存在しない、という原理原則にも反対だ」(※3)とトリスタン・ツァラは宣言しましたが、自らの原理原則を述べるところのものであることが明白な「宣言」というスタイルにおいてこのような内容を述べる行為は二重にも三重にも矛盾しており、単に奇を衒うという以上に、自らの宣言に懐疑的でありつつ宣言を出すという形式だけは譲らない、というツァラの葛藤と選択とをひとつの表現形態に落とし込んだものと言えましょう。20世紀以降の芸術流派は「宣言」を伴うものが多い(※4)のですが、ダダに関しては宣言が七つもあります。既存の全ての宣言を、自分が出した宣言も含めて攻撃することが宣言というスタイルの本質である以上(※5)、ダダイズムの七つの宣言は互いを強化するものではなく、互いを打ち消すものである、という考え方が妥当でしょう。
 ダダイズムは既成の道徳や倫理を否定する運動である、というのが一般的なダダイズムの説明です(※6)。この説明は妥当ですが、「既成の道徳や倫理を否定する」という運動は、全く道徳や倫理がない状況を意味するのではなく、むしろ特定の新しい道徳や倫理を持つシステムである、という考え方を本稿は採ります。何らかの道徳や倫理が、次々発令される「宣言」のように廃棄され刷新され、ダダイストを名乗る者に自己反省と緊張を与えました。同時に、ダダイスト達の活動は、ナントカイズムと不可分である「排他性」が望まない形で働くことを避けるべく運営されていました。即ち他のメンバーからの指図や校閲に縛られず、去るものは追わず、運動に参加したいという新入りに対しては具体的な指導を控え、彼の望む場所で望むように展開するようアドバイスを与えるにとどめました(※7)。「排他性」の不本意な発動が避けられない場合、ツァラは自分の始めた運動を壊すことも辞しませんでした(※8)。
 
 ファシスト党の活動を通して直接お目に掛かる機会を頂戴したかたに「ダダイズムとは何ですか」と訊かれた際、筆者は「私を見れば分かります」と申し上げて参りました。これは狭義の言語活動の放棄であり、その放棄は代替として他の広義の言語活動の選択を要求します。極論を言えば、生活全般がダダ的であることを求められるようになります。
 このようなある概念の生活全般への拡大は、メリットとデメリットを伴います。前者は、本人が常に自己反省を強いられる、という点です。後者は、それがいい加減になり易い、ということです。ある概念と自分の生活とを天秤に掛けたとき、常に生活を犠牲にしても概念を選ぶことが出来るほど人間は強くない、というのが数年かけて筆者の学んだ事実です。ポル・ポトは家族制度の廃絶を提唱しましたが、その幹部は依然として家族を持ち続けました。全国に乱立する昨今の「町おこしアート・プロジェクト」は、「アート」イコール人の生活に役立つもの、という考え方が恰も自明であるかのように展開されますが、「アート」とは何かという問題を最も真剣に考えるべき「アーティスト」がその問題への反省を貫徹し得ない結果、「アート」の定義も曖昧になり、その割に人の生活にも役立ちません。
 ある概念、あるイデオロギーを選択するということは、それとどういう関わり方をするか、という選択でもあります。前述の町おこしアートを例に採れば、「アート」を生活のためのものであると位置づける場合、生活全般を犠牲にすることも厭わない忠実さ、及びそれに耐えうるか否かの逡巡と何らかの打開案が必須となりましょう。生活と切り離す仕方で「アート」と関わるならばそのための理屈が必要であり、かつその理屈に忠実でなければなりません。ダダイズムもファシズムも、これと同様の問題に向き合うことを筆者に求めました。
 ナントカイズムを標榜しながらその排他性に自覚的であり、その排他性の害悪に自覚的でありながらナントカイズムを標榜し続けるダダイストがなぜわざわざそうするのかということと、その害悪の制限のためにダダイストが講じた対策について述べてきましたが、ここで、ファシズムにおいても同じ構造が見られることを指摘したいと思います(※9)。ムッソリーニを創始者とするファシズムは、「ファッショ」(束、団結)にその語源を遡ります。ファシスト党とは「自分はこの党に与しファシストを名乗る」と決めた個々人の、その選択と決断のみによって成立し党の内実は二の次となるような、形式と内実がぎりぎりでせめぎあう「団体」です。これは、先に概観した「宣言」を出すという形式によって、本質的には瞬間にのみ存在するダダイズムと、多かれ少なかれ似通った構造を持つと言えましょう。ダダイストの活動形態と同様に、ファシストは他人に強制すべき理想や「正義」を持たず、党員の間では基本的に意見の統一は不要となります。左翼政党から排除されてファシズムを始めたというムッソリーニは、ナントカイズムの持つ排他性を身をもって経験し、なるべくその弊害が発動しないようなナントカイズムを画策し、ナントカイストで在り続けようとしたのではないでしょうか。ファシズムは政治用語におけるダダイズムであり、ダダイズムは芸術用語におけるファシズムであるという解釈を多少強引ですがここに提示します。従って同一人物におけるダダイズムとファシズムの両立に関しては、本稿はこれを問題視しません。 
 ダダイズムと対照的に、その後継であると評されることの多いシュルレアリスムは、そのユートピア希求性、何らかの「正義」を構成員全員に共有させるシステム、及びそれに反するとトップが看做す者に対する「除名」などの点から、共産主義と親和性が高いという仮説が可能です。当時のフランスにおける共産主義はヒューマニズムの色合いを濃くしており、フランスのリベラルな知識人の多くがシュルレアリストに限らずして共産党員となっています。従って、そのメンバーの多くが共産党員になった事実を証左に「シュルレアリズムは共産主義と同形である」と結論付けることはできません。しかし、アンドレ・ブルトンをトップとして組織化され、内実ある「理想」を共有すべくトップによって義務づけられたシュルレアリスムは、トップダウンの組織を持たず、実現すべきユートピアを持たず、ただ内実を持たぬ「宣言」を出すという形式をもって「ダダイスト」を名乗るという個々人の姿勢によってのみ成立し得たダダイズムとは、明らかに異質の運動と言えましょう。共産主義と言うより、スターリニズムと言ったほうが近いかもしれません。
 
 ナントカイズムは現在敬遠される傾向にあります。70年代以降の新左翼の内ゲバを経て、「イデオロギー」「党派性」といったものは忌避の対象として考えられているように思えます。本稿をお読みのかたは反原発・反TPP等、現在の街頭活動の状況をチェックされているかたが多いと推察しますが、「沿道の共感を損なうから団体旗は持ち込まないでください」というデモ主催者の方針を、一度ならず読んだり聞いたり、ご自分でアナウンスしたことがあるかもしれません。これは主催者の戦略であって、もし沿道の共感を得ることが反原発なり反TPPなりの目的の達成に効果的であるならば、その目的に最も合致した装いが必要なのですから、その限りにおいてその街頭活動の主催者の方針は正解なのです。
 しかし、「イデオロギー」「党派性」をほんとうに忌避すべきものだと活動家諸氏が考えているならば、それは再考の余地があります。第一、その考え自体が無自覚に「イデオロギー」「党派性」でしょう。かつて自覚的なもの同士の間で行われていた党派闘争が、無自覚派VS自覚派の形で行われるのであれば、これは後退以外の何ものでもありません。無自覚なものと自覚的なものを比べた場合、自覚的なもののほうが選択・捨象の原理原則に誠実であるのみならず、自己反省機能が働くぶんだけ堕落しにくいと考えられるでしょう。
 政治活動シーンと同じく、芸術シーンにも同様の傾向が見られます。アーティスト諸氏がもっと政治的イデオロギーに敏感になり、政治をテーマにしたアート作品を作ればいいという問題ではありません。「芸術」が安全圏であり、何をしても「芸術」であるならば許されるという現在の状況では、たとえ政治をテーマにした作品を作っても既存の安全圏の強化に与するのは目に見えています。アートはアートの分野において、「イデオロギー」「党派性」に自覚的になるべきでしょう。とある「町おこしアート・プロジェクト」に過日(覆面)参加したファシスト党の二名は現地で来場者・主催者を対象にアンケートの配布・回収を行いました。連絡先が欲しかっただけなのでアンケートの内容は「犬派ですか猫派ですか」といったどうでもよい項目ばかりですが、そのどうでもよい質問に「派閥は嫌いです」という回答が主催者の側から寄せられた、というどうでもよい挿話は、「みんな違ってみんないい」を合い言葉に一億総タコツボ化するのみならず、タコツボ化せざるものを忌避することがその是非を問われないまま自明となった、無自覚に欺瞞的な現在のシーンをカリカチュアとして表象するものでしょう(※11)。
 皮肉なことに、ダダイストである筆者が数年来政治活動に参加してきて最も度々考えざるを得なかったことは、反原発なり雇用待遇なり党の資金問題なりの個別の具体的課題の解決や改善ではありませんでした(※12)。何かを選択するということが即ち他の何かを切り捨てることであり、自分はそれを認めなければならない、という、何かに関わる際の形式の持つ原則の問題でした。ひとつの概念は排他的であるからこそひとつの概念として成立するゆえに、定義は排他的な行為であり、従って冒頭で述べたとおり、全てのナントカイズムは全て排他的なものとなるでしょう。
 この排他性は、まず自分に対して発動されるものです。ナントカイズムやナントカ党を喧伝したりそれに所属したりする人間は、この自己反省のステップを一度ならず毎日辿るべく理屈上定められます。理屈からはじき出された結論を現実的に貫徹できないならば、ポル・ポトの轍を踏むことになります(そもそもポル・ポトの理屈がまずかったかどうかという問題を本稿は論じません)。また、その排他性というものの害悪の有無に関しても自覚的であるべきだ、というある種の倫理が要請されます。党派性、即ち排他性は自らにひとつの倫理を強い、誠に残念ながらその倫理に添うほど自分が強くないと思われる場合、極めて遺憾ながら、そして若干の歓びとともに、次善の策を考える倫理を自らに強いるために、有用な諮問機関ではないでしょうか。



※1 ダダイズムは1916年にチューリッヒで始まった前衛芸術の一派です。「否定と破壊」をテーマに、言語体系や道徳、アカデミズム、芸術の諸ジャンル等、既存の様々な体制の無効化を試みるこの運動は、大戦の衝撃と相まって数年内に世界各国に飛び火し、続く数年内にほぼ終息しました。大まかに言えば、ファシズムがそうであるごとく、ダダイズムはある種のニヒリズムです。ニヒリズムとは「無い」ことをテーマにするものであり、「無い」ことを説明する言語活動はおしなべて困難であるゆえ、他の何かとの差異と類似を用いて述べるか、全く述べずに実態をお目にかけるしかありません。普段は後者を選択する筆者ですが、本稿ではファシズムとの類似やシュルレアリスムとの差異を用いて、ダダイズムの特性を述べようと試みました。
※2 ファシスト党はムッソリーニのファシズム論を継承した活動家である外山恒一の理論に基づき、福岡を拠点に活動しています。反資本主義、反スターリニズムを基本方針に、「既成政党全部打倒」をスローガンとし、ひとつの「綱領」を共有しますが原則的に党員の活動は個々人に任されます。
※3 ツァラ『弱き恋と苦き恋のためのダダ宣言』。
※4 未来派、ダダ、シュルレアリスム等「前衛芸術」の流派はいずれも「宣言文」を伴った芸術運動であり、「前衛」という軍隊用語も含めて、このスタイルはマルクス主義の先例を踏襲したと考えられます。
※5 「ひとつの宣言を公にするには、A, B, C, を希求して、一、二、三、を撃破せよ」とツァラは『ダダ宣言1918』の冒頭で述べます。
※6 ダダイストはしばしば、「ダダイズム」という言葉さえ嫌い、代わりに「ダダ」を用いました。「ダダ」が特定の思想であることを否定するかのように「人間のノーマルな状態がダダだ」とツァラは『弱き恋と苦き恋のためのダダ宣言』で述べています。しかし、この言説がやはり「宣言」の中に見いだされる以上、(※3)で挙げた例と同様に、これも形式と内容が打ち消し合う「見せ消ち」的効果を狙った表象と考えることができます。創始者がいかに否定の素振りを見せてもダダは特定の思想であり、特定の思想であるがゆえの利と害悪とを常に自覚し、行動するよう参加者に強いる機関である、というのが本稿の見解です。
※7 『水声通信7号 特集ダダ』(水声社、2005年5月)には、主要な活動舞台であったパリのダダイストのもとに東欧やイタリアからダダイスト志望の若者が相次ぎ、励ましのアドバイスを得てそれぞれの都市に帰り、お作法どおり先輩ダダイストを馬鹿にした宣言を出す、というエピソードが見られます。
※8 パリにおけるダダイズムの終焉の契機として、「バレス裁判」とツァラによるその妨害が挙げられます。「バレス裁判」はパリのダダイズムの中心的なメンバーであったアンドレ・ブルトンを主催者として、社会主義者でありながら国粋主義に転向した「罪」により、作家モーリス・バレスを「糾弾」する模擬裁判のパフォーマンスですが、「証人」役を演ずるよう求められたツァラは、「法廷」で歌ったり、関係者全員を馬鹿呼ばわりすることでブルトンの意向を台無しにし、メンバー間の不和を決定付けました。この挿話に関しては、「ツァラが政治に興味を持たなかったためである」、乃至はもっと積極的に、「ダダイズムへの政治的イデオロギーの流入を避けるためである」、という解釈が一般的です。しかし、本文で述べたとおりダダイズムは「宣言」に立脚した運動であり、それ自体がイデオロギッシュであることの利と弊害を自ら引き受けており、その意味では政治的諸党派と根本的に同じスタイルを採っています。イデオロギーとそれにまつわる煩雑なイメージを忌み嫌い、ダダイズムをほんわかした平和的な、例えば宇宙の大いなるエネルギーとの交流であるかのように述べる言説は、本文で論じた「一億総タコツボ化」の凡庸な平和に加担するものであるとして、本稿は戦略的にこれを退けます。
※9 本稿の「ファシズム」は、筆者が所属するファシスト党が基づく外山恒一のファシズム論と、その源流であるムッソリーニの思想を参照先としています。〈http://www.warewaredan.com/main2.html〉(「我々団」サイト)
※10 戦後民主主義の無批判な受諾により個性を称揚した結果に無個性となり果てた現在の芸術シーンに対し、芸術家がいちばん嫌う「弾圧」をキーワードに批判の展開を試みたものとして、ファシスト党党員の東野大地が主幹となって発行した小冊子『芸術誌系弾圧誌・メインストリーム』、及びその編集部の一連の活動を挙げます。〈https://sites.google.com/site/organmainstream/〉(『メインストリーム』サイト)
11    ダダイストが政治に関わるとどうなるか、という問題を最も面白く、かつ鋭く論じたものとしてドミニク・ノゲース『レーニン・ダダ』(鈴村和成訳、ダゲレオ出版、1990)が挙げられます。ダダイズム発祥の地であるチューリッヒにおいて亡命中のレーニンとツァラの活動圏が被っていた、という事実をもとに、レーニンをダダの創設メンバーであると主張し、彼はダダの実践としてロシア革命を興し決定打としてスターリンを後釜に据えた、という(おそらく)偽史を、精力的な検証と論文調のスタイルによってエンターテイメントに仕上げたものです。
 これとは別に、筆者個人の体験を挙げます。ファシスト党は2012年の参院選に際し、原発推進派の候補者の選挙カーを党所有の街宣車で片っ端から追い回し、この候補が原発推進派であることをアナウンスし、大いに嫌がられ、当の候補者から「どの対立候補の金でやってるのか」と怒鳴られたりする活動を展開しました。金で動くのではない人間がこの世に存在するとは今の今まで知らなかったかのようなその大手政党の老議員の冥途の土産に、資本主義を否定するファシストと因果律を破壊するダダイストが金権政治の因果の外部を垣間見せて差し上げられたことは、筆者の数年来のダダイズムとファシズムの活動において最も楽しかった瞬間のひとつです。

(本稿は2014年、左派系雑誌に寄稿したが発刊ごとポシャったものです)

※2021年1月5日追記     文中の東野大地は2020年にファシスト党を脱退しました。

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