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妊婦、よる歩く

4月に、突然妊娠した。

人って作れるんだ、というのがはじめの感想だった。自分の身体にそんな可能性があったことに感激すらした。
というか本当にいるのか?とはじめの2ヶ月くらいは半信半疑。ただ体調が悪いことだけがお腹になにかいる証だった。

3月に前職を辞めた理由の一つに子供が欲しいという建前があったにはあったがはずだが、はたして本当に自分が子供が欲しいのか、義務的に子供を作らねばと長年感じていただけなのか。私も夫も一人っ子で無言の圧を感じていたことは確かだ。
ただなんにでも興味を持ちがちな私は、単純に妊婦になってみたかったし出産の体験をしてみたいという無責任な好奇心だけはあった。その後の子育てに関しては想像するだけで恐ろしい。

そもそも、私は子供があまり得意ではない。

と、言ってしまうとなんだか自分が冷たいなにかが欠落している人間な気がしてあまり口にはしてこなかった。
子供は素直すぎる。空気を読んだり忖度したりしない。それらをどう教えたらいいのかもよくわからない。親戚や友人の子と同じレベルで一緒になって遊ぶことは出来るけれど、面倒を見るのは恐ろしく苦手だ。そしてかなり疲れる。

基本的に人と関わる時は肯定から入って、
こういう人もいるのか、
面白いなー、
あなたがそれでいいならいいんじゃない?
というスタンスを貫いている。どうしても合わなそうな人とは自然と距離を置いている。子育てに関してはそうもいかないだろう。本当のところの善と悪の境界も曖昧だが、とにかくダメなことはダメとこちらで判断して何度も伝えなければならない。
そもそも私の価値観など植え付けてよいものか。どうしたって少なからず影響を与えることは避けられない。

正直なところ、ただでさえ脆弱なキャリアが出産によって止まることも恐ろしかった。身軽なままなら何処でもいけるし無理な働き方だってできるし、未経験からなにかをはじめますと環境ごとそちらに身を置くこともできる。
できるかできないかわからないものを考慮して今後を決めていくのも煩わしいとすら考えていた。

「まあすぐできるもんでもないし、のんびりいこや」
ということでとりあえず避妊をやめたとたんに授かった。夫婦ともども、あまりに突然の出来事すぎてキョトンとしてしまって事態を飲み込むのに少し時間がかかった。
とにもかくにも、当面は無事に出てきてくれる想定で今後の動き方が確定した。

なるときはもう強制的に親にさせられるものらしい。

驚きから少し経って、無条件に幸福感を感じている自分に気付きさらに驚いた。
そういう感情が自分にもあったのかと。
雰囲気も柔らかくなったとやたら言われる。これはもはやDNAに組み込まれている変化なのかもしれない。

この頃は神社にお参りする機会が格段に増えた。出先でたまたま見つけたり、誰かから勧められたり。
もちろん、もともとそんなに信仰が厚い方ではない。
実家にいた頃は、毎年正月のお宮参りに母が家族の健康しか祈らないことが、なんて夢がないんだろう、つまんないなと子供ながらに感じていたけれど、今になってようやく家族の健康を切に願う気持ちを理解することができる。健康じゃないとそもそも何も始まらない。
こんな日が来ると思わなかった。

現在妊娠6ヶ月。
もにょもにょと元気な我が腹の生命体は存在感を増してきた。
すでになんかよくわからんけど可愛い。物言わぬ今のうちだけかもしれないけれど。

妊娠当初は、少しの衝撃で何か問題が起こるのではないかとハラハラしたり、妊娠初期ほどまわりに伝えられないこの風潮はなんなのだろうとモヤモヤしたり、無事生まれてこれなかった命の記事を読んで無駄にナーバスになったり。結局、自分がご機嫌でいることが胎児にも一番いいよね!と開き直ったり。
ほんの数ヶ月前のことなのに既に朧げになるくらい、着々と入れ替わる心と身体の変化が忙しい。

良くも悪くもこのお腹の住人は次にどんな感情をくれるのだろうか、と遅番上がりの帰宅中にくるくる想いを馳せている。

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