専業主婦とクリエイティブ
専業主婦は現代において地位が低いと思う(すみません、完全に主観です)
地元の友人と会話をしていて、
今の女の人って、結婚して子供を作らなければいけないし(彼女は未婚)、仕事もやって綺麗でいなければいけないって大変すぎじゃないか、生きずらくない?って話になった。
同感だった。
それぞれの価値観があると割り切って自分自身の選択をどちらかと選択させてもらっていいる方だとは自負はしている。実際かなり自由にキャリアを形成してきているので、最近まで我が家は別居婚だった。
今は会社自体は変えず、業種を180°転換する形で4月から再スタートを切ることにしたのだが、この決断に至ったのもとりあえず社会(というよりはこの場合は会社を指す)から離れたら終わりだ!戻れない!というある種の恐怖感が少なからずあったことは否定できない。
先日、2年3ヶ月ぶりに実家に足を踏み入れて感じたことがある。
祖母は偉大だった。
祖母について少し話そう。
祖母はその時代では珍しくない専業主婦で、本当は外に積極的に出たかったけれど祖父に家にいてくれと頼まれ専業主婦をしていたタイプの女性だ。社会と繋がりを持ちたかったけれど諦めた女性がこの時代はどれほどいたのだろうか…
祖母は家では、内職をコツコツやっていた記憶はある。あまりお金にはならないよと笑って話していたことをよく覚えている。
料理のセンスがよく、特に鮎の焼き加減は絶妙。うちの広大な土地の中に畑に止まらず小さな茶畑を作ったのも祖母のはずだ。私が部活でもらってくる表彰状や盾を玄関にセンス良く飾ってくれるし、裁縫ができるとにかくクリエイティブな人。おしゃれが好きで、若い頃の写真を見るに結構美人だった。たまに似ていると言われるととても嬉しい。
晩年はお琴の発表会にも出ていたようだ。観に行ったことはないけれど。
会社を経営していた祖父が50代で早期引退したいと申し出たときにそろばんを(電卓だったかも)叩いてなんとかなるから好きにしろとあと押ししたのもこのできる女。そういえば、どこから捻出していたのかわからないけれどお年玉もしこたまくれたな。
尊敬する点をざっとあげるだけでもこれだけある。
・花の名前を知っている
・料理がうまい(鮎の焼き加減が絶妙)
・着付けが出来る
・茶道が出来る
・筍の収穫は食べ頃を猪と争う
・お茶畑の管理
・庭のお手入れ
・裁縫が上手い
・配偶者の手綱をある程度握っている
これらの能力って家庭にいたのなら収入という形で計れないのだけど、とても評価されるべき能力なのではないか?
現代はお掃除もお洗濯も、食洗機や乾燥機など動員したりアウトソーシングしたらどれだけでもしなくて良い環境が整えられるので一概には比べられないけれど、配偶者の要望(祖父からの専業主婦であって欲しいという)に応えつつ独自の生き方を貫き、人生のペーペーである孫に尊敬の念を抱かれる人であり続けているという事実。
まじで祖母ってすごいんじゃないかと年を重ね久しぶりに家を訪ねた今、改めてじわじわと感じる。
仕事というのは収入や社会に与える影響だけでなく、目の前の人に与える影響や何を日々つくり何を残したか、という観点からでも測るべきなのかもしれない。
今年もお茶摘みに行く。
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