「寝煙草の危険」マリア―ナ・エンリケス著 / 宮﨑真紀訳
メチは、ブエノスアイレスで、死亡したり行方不明になった子供たちの記録を管理する仕事をしている。彼女の記録庫には〈年上の男についていってしまう子、妊娠して怯える子、レイプの恐怖から逃げる子、誘拐されて売春組織にとりこまれ二度と見つからない子、自ら命を絶つ子…〉そんな子供たちの記録が溢れている。メチは淡々と、几帳面にファイリングをするだけだ。でもバナディスという、ひと際美しい少女だけはなぜか気にかかっていた。バナディスが拉致されて殺害されたことを示唆するビデオを見たメチは激しく動揺する。そんなメチの前にバナディスが現れる。失踪した時のそのままの姿だったがどこか違和感を漂わせていた。その日を境に街中に異変が起り始める。「戻ってくる子供たち」
本書『寝煙草の危険』は、現代スペイン語圏の作家で最も注目されている、アルゼンチン出身の作家・ジャーナリストのマリア―ナ・エンリケスによる一作目のホラー短編集である。タイトルにもなっている「寝煙草の危険」を含め、12編の恐怖譚からなっている。エンリケスは「私たちの現実はすでにホラー要素満載だった」と語る。アルゼンチンは1976年から1983年まで、軍事政権の恐怖政治の元にあった。国家が市民を違法逮捕、拉致、監禁、拷問、殺害など様々な形で弾圧した結果、この間の死者・行方不明者は約3万人に上るとも言われている。「戻ってくる子供たち」はゾンビというホラーフィクションの形を借りて、現実の人身売買やストリートチルドレンの問題を浮き彫りにしている。映画「アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判」は、その様子を生々しく描いている。
エンリケスが生まれたのは1973年。暗黒の時代の真っ只中で少女時代を過ごした。だからこそ、抑圧された女性や子供たち弱者に寄り添うエンリケスのまなざしは温かい。「寝煙草の危険」「どこにあるの、心臓」「肉」「誕生会でも洗礼式でもなく」は、女性のエロスを赤裸々に描いていて強烈だ。
〈私〉にとって死を意味するあらゆる表現が素敵だった。医学用語は私にとってはポルノグラフィー。異常心音の記録CDを聞きながら、何時間でもマスターベーションをしていられた。やがて〈私〉の行動はリアルな心臓を求めてエスカレートしていく。「どこにあるの、心臓」
登場する女性たちはグロテスクでもあるが、一方で力強く健気にさえ思える。
「ちっちゃい天使を掘り返す」「湧水池の聖母」「ショッピングカート」「井戸」は、多くのラテンアメリカ文学がそうであるように、伝承や迷信の類が下敷きになっている。エンリケスも幼い頃、祖母からたっぷりと聞かされて育った。
生まれて名付けられる前に亡くなった赤ん坊の呼称、ちっちゃな天使(アンへリータ)の物語は、嵐の日に泥遊びをしていた〈私〉が、小さな骨を見つけるところから始まる。おばあちゃんは「それはおばあちゃんの妹の骨なの」という。10年後、そのアンヘリータが〈私〉のもとにやってくる。腐った肉がぼとぼと剥がれ落ちて骨がのぞいている小さな足の、何とも不気味な赤ん坊の幽霊が。〈何があり得て、何があり得ないか、考えるのはもうよさなきゃ〉と〈私〉は思う。死者と生者の共存する物語は、ホラーというよりコミカルだ。「ちっちゃな天使を掘り返す」
エンリケスの作品には、どこか可笑しさがある。読み終えたとき、ふっと温かい気持ちになるのはそのせいかもしれない。