「溜めすぎるな!」-043:「クスリ」に溺れる必要の無い老後を目指したい
「クスリ」に溺れる必要の無い老後を目指したい
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以下は、別の某ブログに書いていた、
2023年の夏~秋にかけて決行した、
私の断捨離体験記「溜めすぎるな!」のnote版です。
📕kindle本出版予定📖
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「溜めすぎるな!」-043
「クスリ」に溺れる必要の無い老後を目指したい
20230914
「薬」という字は、「楽しい」の「楽」の上に、草かんむりが付いている。漢字を作った商(=殷)の人たちは、よくわかっていたんだなぁと思う。
ちなみに、漢民族から「殷」という差別用語で呼ばれた、商のひとたちは、いったいどこへ消えたのだろう?
「楽」は、ヒトとカミが交感し交歓する、神事のことだと私は思う。「雅楽」や「猿楽」「能楽」「音楽会」の舞台は、「舞う台」。舞う台でヒトは、カミに生贄を捧げる。
舞台人とは、カミへの生贄になることを、自ら(または世襲で)選んだ人たちだ。だから、一般人ではない。芸能界が一般社会ではない理由はこれだ。舞台(ステージ)で芸を披露する人は、舞台人。エンターテイナー。プロのスポーツ選手もそうだ。ローマのコロシアムで人間同士の殺し合いや猛獣と戦った戦士も、残虐な喜びを求めるローマの市民(つまり一般人)を楽しませる、奴隷だった。
そんな舞台の上でカミの生贄になるためには、正気ではとてもいられない。だから、クスリで脳内をイかせることが必要だった。「薬」の草かんむりには、「薬」の起源が脳をイかせる草、つまり麻薬であったことを示しているのだろう。「薬」という文字には、トランス状態や精神錯乱状態にさせて、せめて精神的に楽に死なせてあげたいという、人の情けの思いが込められていると、私は思う。
アルコールも然りだ。お神酒。最後の晩餐で、イエス・キリストが、赤ワインを「これは私の生贄の血である」と言ったことから、カトリックのミサでは赤ワインが使われている。アルコールも、生贄の神事におけるクスリといえる。
「薬 = クスリ」の最も象徴的な例が、アヘン(モルヒネ)だろう。末期がんの緩和ケアで処方される「薬」は、健常者にとって危険極まりない「クスリ」であり、国を侵略する道具にもなった(阿片戦争)。
高齢の親や配偶者の介護に奮闘する方々のブログを拝読していたら、「親/配偶者は、投薬がはじまってから認知症が進んだ」という記述を二、三、見かけた。
少々下火になったようだが、日本の高齢者を狙い撃ちするかのような「帯状疱疹の予防接種」の広告主は、世界的な製薬会社だ。外国でも同じ広告手法を使っているだろうことが想像できる。
「自閉症スペクトラム」とか、「私はHなんとかHSPです」とか、自分で自分を分類する世の中になった、そのもとには、医療・製薬の何かがあるのではなかろうか?20世紀までは「ちょっと変わった子/人」と思われて済んでいた人たちが、ADHDとかHSPとか「発達障害」という「治療が必要な病名」を付けられてしまった。その分だけ、治療や投薬が必要な病気が増えたのだ。アメリカの往年のジャズの巨星が、当時の精神疾患用の治療を受けたことで、顔つきがすっかり変わって廃人のようになってしまった背景には、投薬や治療に原因があったのではなかろうか?不眠症などの精神疾患⇒投薬⇒認知症みたいな図式になる場合もあるのではなかろうか?
医療と製薬は、切っても切れない間柄だ。実際、事故や重篤な病気から人命を救うには、適切な投薬が必要だ。だからこそ、幼児や子どもの生き残り率が向上し、年寄りが長生きするようになって、ヒトの平均寿命は伸びているのだ。
だが、この世の神羅万象は、すべて、コインの両面だ。日本人は、それを身に染みて知っている。大陸プレートの衝突の皺として、南北に長く、地表の凹凸の変化が富み、亜寒帯から亜熱帯そして高山帯にいたる様々な気候の恩恵を受けて、北部ヨーロッパに比べたら各段に動植物の多様性が豊かな、日本列島に代々住んできた日本人は、その自然の恵みをタダで享受できる、その代償として、地震・津波・火山の噴火といった、甚大な自然災害も手放しで享受しなければならない。
同じように、「薬」は、人命を救う可能性が有るが、その裏面の「クスリ」は人命を損なう可能性が有る。世界的な製薬メジャーが、世界中の愚衆に向けて、クスリの広告の集中砲火を浴びせているのかもしれない。
ところで、製薬会社は儲かるんだなぁ、と、私は現役社会人時代に思ったことがある。製薬会社に入っていれば、厚生年金が手厚くもらえて老後も少しは安泰になったかな?なんて思っても、後の祭りだけどね。
もちろん、製薬会社の存在意義の根幹には、「人間はいつか必ず死ぬ」という絶対的なこの世の真実が有る。「死にたくない!」「長生きしたい!」という人類の生存欲が、製薬会社を突き動かしているだけだ。
そして、製薬会社も営利企業だから、儲けなければ株主から叩かれる。20世紀の後半から、ETFの長期保有を勧めた『ウォール街のランダムウォーク(A Random Walk Down Wall Street)』という本が、アメリカの搾取されるばかりの中流(もと労働者)階級の人たちの401Kの闇夜の灯台となっただろうし、今の日本では、日本版401K(イデコ)でインデックス投資をやっている人たちも多いだろう。私たち庶民のささやかなインデックス投資の評価益が増えるのは、インデックス商品に絶対に組み入れられているに違いないこれらの製薬会社の業績も、少しは関係しているはずだ。
だから、なにも薬に限ったことではない。アルコール飲料会社なんて悪の骨頂だろうが、アルコールだって、接待や飲み会や忘年会といった人類の神事でみんながひと時トランス状態になって楽しめる、クスリとしての存在意義が有るから、人間社会で存続し続けているのだろう。
タバコだって然りだ。タバコやお茶やコーヒーも、もとはといえば、それらを生んだ文化圏の「トランス用のクスリ」だったはずだ。それが、いまは、タバコは置いといても、お茶やコーヒーを麻薬よばわりする人は、ほとんどいない。
もちろん、タバコの代わりに、新たな「タバコ」の代用品が、世の中にドンドン投入されて、カモ(愚衆)を狙っている。ただそれだけのことだ。
自分の命、自分の身体、自分の健康、自分の長生きのためなのだから、何事も、コインの両面をしっかり見極めて、自分の頭でしっかり考えていく。それが、自分が生き残る唯一の道だ。
「お薬手帳」が、クスリの処方が満載の「おクスリ手帳」にならないように、気を引き締めて生きていきたい。
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ここで、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。
モノについて
モ① もらったモノは、基本的に捨てる。
モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。
例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、
死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、
保有し続ける。
モ③ つまらないモノには、近づかない。
ストレスについて
ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。
ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。
ス③ つまらない情報には、近づかない。
このブログの目的は、還暦を目前に、
家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ
「シニアの実(み)の成るライフ」を追求することである。
アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、
「シニアの実(み)の成るライフ」を目指していく。
家の中も、脳の中も、
溜めすぎるな!
🌳次回につづく🌳
🌳ものぐさゆえ、コメントにお返事できない失礼をお許しください🌳
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頂いたお心付けは、note内で循環させて、noteを盛り立てていければと思います!