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倶楽部サピオセクシャル日記㉗ 語ることの意味

鈴木 剛
おととい5月22日のサピオセクシャル部屋の報告を書こうと思う。
いま、昨日ベルクで買ったリンゴのハードシードルを飲みながらこれを書いている。

今回のテーマは「語ることの意味」。

僕は常々語ることが大切だと思っている。 

なぜだろうか?

それは、語ることで自分の内面が明らかになるからだ。
僕たちは考えていることが元からはっきりとあるから語るのではなく、語る機会があるから語り始め、そのプロセスを通して考えていることがらがはっきりしてくる。
すなわち語る機会をつくることが誰かの内面をはっきりさせるとも言える。

まあ、いろんな言い方が可能だろう。

・豊かな人生を生きるために語りを活用しよう。
・人と語り合うことで自己との対話が進む。
・自分のなかの葛藤や悩みを誰かに語り、受け止められ、質問されたことに答えることで葛藤が整理される。

僕は20年近く人間関係に苦手意識を持つ若者や生きづらさを抱える人たちの居場所を開いてきた。
そこでやってきたことは何か。
一言で言えば「対話」だ。
ここ数年、そう思うようになった。

対話を重ねることで誰かの生きづらさが軽くなる。
そうなったらいいなと思ってやってきた。

さて、今回のはじまりあたりで、なぜか教育の話になった。
恋愛の教育、投資の教育などさまざまな教育が日本で始まろうとしていることについて、みんなでその意味ややるにあたって必要な工夫などについて対話をした。

また、こんな話もあった。
clubhouseは不特定多数の人と話すことができる。それはあたかもストリート、路上で話しているようだ。しかし、そこがパブリックな場であるならば、そこでの対話のあり方についてある一定のルールが必要なのかもしれない、そんな話になった。

ただ、だからと言って必要以上に縮こまるのではなく、タブーな領域のこともあえて話題にしていくことも大切だよね、という話にもなった。

今回の部屋でみなさんと語り合うなかで、やはり語り合うことで考えが深まり好奇心が刺激される。そして、結果、僕の価値観が拡張する。そんなことを感じた。
あるテーマを決めて語る場には一定程度、いや、それ以上の意味がそこに宿る、と思った夜であった。

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