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倶楽部サピオセクシャル日記89:恐妻家は蛙か蛇か? 今夜はカップルの関係変態を読み解く

どうやら台風が直撃するようだ。なんならうちの屋根の上を通るみたいなので、ちょっとソワソワ。子供のころはこのソワソワにおけるワクワクの要素が強かったものだが、長じてもあまり変わらない。

 飲みに出かけようものなら、「台風の脅威など、うちの妻に比べれば……」などと与太話を披露しそうだ。お後がよろしいようなので、そろそろ先週のまとめを書いてみる。


■既婚男性が共感を醸成するためのプレイ

今回のテーマを考案したのはぼくである。先週の終わり際「恐妻家ネタ」で盛り上がったのだが、ぼく自身は違和感があった。女性陣の一部は「男性側からのリスペクトが夫婦関係の安定に資するので、恐妻家は理想の男性像」とする声があり、これに和す声が高まった。

一種の同調圧力を感じたのだが、ぼくは自分自身がとる「恐妻家ポジション」をそういった生真面目な話とはとらえていない。既婚男性同士がつながるための使い勝手がいいプレイ、というのがぼくの認識である。

コメントでは「プレイと認識するのは臆病ゆえ」とする声ももらったが、だいぶ的が外れている。自虐ネタは関西人の定番であり、恐妻家ネタはその一種に過ぎない。今回のルームでも男性陣はおしなべて同じ意見だった。

オッサン同士が自身の弱さを過剰に見せ合うことで、「愛のある人」「安全な人」といったイメージを交換し合う、一種の儀式ですらあるというコンセンサスを得た。さもあらん、である。

ちなみに、タイトルの蛙は「蛙化現象(片思いの相手が振り向いた瞬間に気持ちが冷める現象)」、蛇は「蛇化現象(恋愛感情が強く、短所も長所に見えるようになる現象)」からとった。

■黄色信号と偏見の話

実は今回、もっとも盛り上がったのは恐妻家ネタではなく偏見の話だった。ぼくは仕事柄、初見の人とかなりややこしい業務をこなすことが多い。書籍の制作には半年以上の時間がかかるが、その間には利害が絡むやり取りをひんぱんにくり返す。

経験上、仕事の難易度にもっとも関わるのはクライアントの能力ではなく性格だと感じている。そんなぼくが業務の難易度を予想するのに使う情報の一つに、「離婚歴」がある。

家庭は利害が絡む社会の縮図である。そこでパートナーとの関係性を良好に保てる人は仕事においてもパートナーシップの維持管理がうまい。感情的になりにくく、視点が多元的。無意味なこだわりが少ない、といった特徴がある。

一方、離婚歴がある人にはそれとは反対の傾向が見られる。概して言えば、トラブルが起きる可能性が高く、納品完了までに余分な手数を要するケースが多いのだ。

誤解のないよう断っておくが、これはぼくが仕事を通じて得た感覚に過ぎない。「そんなことはない」という人がいるなら、その言は否定しないし、エビデンスがあるなら受け入れる。

ただし、2000人以上を取材し、100冊以上の書籍を作ってきた中で得たものなので、一定の蓋然性はある、と自身では認識している。ぼくが反対意見を受け入れるのは、それ以上に高い蓋然性を感じた時に限る。

こういった仕組みにより、初見の人について「離婚歴がある」とわかったら、ぼくの頭の中では黄色信号が点灯する。念のため言い添えるが、赤ではない。あくまで黄色であり、詳しく相手を知って「大丈夫」とわかれば信号は消灯する。

この話を持ち出してみたところ、ルームには割と大きな波紋が広がった。その時、オーディエンスには常連さんも多く、そのうちの何人かが離婚経験者であることを知っていたので、話すかやめるか実はかなり迷った。

リスキーな試みだったが、「それは偏見ですよね」と言ってくれた人がいた。関西風に言うなら、それ以上ない素晴らしいツッコミだった。たしかに、偏見だからである。

そこから、「多くの主観は結局、偏見ではないのか」といった話題になり、ルームが一気に盛り上がった

■共依存と相互依存あるいはNO依存

恐妻家の話から夫婦やカップルの関係性についても語ることとなった。たとえば、お互いのことを他者にどういう言葉で紹介するか? 夫が妻のことを言う際、「愚妻」あるいは「妻君・細君」と呼ぶことがある。

前者は日本人独特の謙譲表現であり、後者はそれとは逆にリスペクトが滲む表現だ。では、妻が夫を語る際にはどうか? 特に「愚妻」に匹敵する言葉は何だろうか、という話になったので、ぼくは「宿六」という言葉を提示した。

今では完全な死語であり、落語で耳にするくらいだが、かつての日本にそういう「夫を卑下する言葉」が存在したのは興味深い。人の関係性は常に言葉に表れるので、いにしえの日本は必ずしも男尊女卑ではなかったのだろう。

夫婦の有り様については、「相互依存」を平和的な関係を安定して保てる境地、と語ってくれた方がいた。共依存からお互いの権利拡大を巡るバトルの時代を経て、最終的には「相互依存」にいたるのが夫婦の王道だという。

カップルの関係性は蛇に始まり蛙に転じ、さらにはその先があるのではないか、とぼくは推測しているが、相互依存こそ蛙の次に来る形態かもしれない。

■まとめ

今回、恐妻家については男性登壇者の間で「プレイである」という同意があった。ただ、ある登壇者からは「妻が恐いと語る友人はどうやらガチらしく、どう対応すればいいのかわからない」という問いかけがあった。

いろいろな解釈が成り立つが、一種のミュンヒハウゼン症候群(詐病により、周囲に優しくしてもらおうとする行動傾向)ではなかろうか、と感じる。もっとも、これはぼくの想像に過ぎないので、関西人らしく「知らんけど」を付け加えておく。

いずれにしろ、恐妻家は単に妻が恐い人ではない。環境に適応するためなら平気で妻をネタにできる人。ぼくも含め、これこそ、恐妻家という仮面をかぶる者の本質であろう。


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