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倶楽部サピオセクシャル日記㉖ 自死はありかなしか? 理想の最期について考えるルーム

本日は5月15日。神戸は朝から雲の多い天候だが、これを書いている私、Yoshihikoの胸中も同じく曇天である。
昨夜のルームでは事件が起きた。相方のつよぽんさんがまさかのアカウント停止をくらったのだ。なにが起きたのか――まとめの中で振り返ってみたい。

◆自死の連鎖と「死の受容」からテーマ設定

そもそも、今回のテーマを設定したのは私である。芸能界で起きている自死の連鎖に心ざわめくものを覚えたことと、現在、執筆を請け負っている書籍のテーマ「高齢者における死の受容」が重なって感じられる部分があり、いろいろな声を聞けたら、と思ったことから、このテーマを選んだ。

もちろん、このテーマがセンシティブなものであることは私もつよぽんさんも最初から認識していた。ルームの冒頭からスピーカーになってくれた方も、別のルームで自殺を扱ったところ、「ルームの存在が嫌」とする人の声が強く、中途で締めざるを得なかった、と教えてくれた。

ただ、自死は古来、哲学や社会学において、大きなテーマとして取り扱われてきたものの一つだ。多くの人が意識しているタイミングで、議論を交わすことには意味があるに違いない、と考えてルームを開催し、話を進めた。

タイトルを決める際にも、「自死」とするか「自殺」とするかでかなり悩んだ。遺族会の見解も調べ、当事者の感覚は「自らを殺める行為」だと知ったが、一方で遺族の多くは「殺」という言葉に忌避感がある、との印象を受けたため、「自死」とした。

ルームを開いてすぐ、チャット上には参加者の方が「いのちの電話」の電話番号を記載してくれた。一定以上の配慮をした上で、進めたルームであることを参加者にもClubhouseの運営にも理解してもらいたい。

◆自死からの逃走と自死こそ逃走

自死を語る上で、今回、浮き彫りになったのが「逃走」というキーワードだった。相方のつよぽんさんは20代で印刷会社の店長を任され、店員と上司の板挟みになって苦しんだことがある、という。そのストレスは非常に大きく、電車通勤の際には線路に身を投げたくなるため、なるべくホーム中央部で電車を待ったらしい。

もはや自殺を免れるには逃げるしかない、と思った彼は日本を脱出する。ニュージーランドでのワーキングホリデーを選択。約1年を過ごす中で心の平安を取り戻したのだ。

私も自殺と逃走には深い関係を意識しているが、それはつよぽんさんとはある意味正反対の意味づけに基づくものである。「自殺こそ苦難から脱出するルート――人生をゲームになぞらえるなら、リセットボタンのようなもの」と考えているのだ。

若き日、私は小説家を目指した。音楽家になりたい、という以上の無謀なチャレンジだったが、それをせずにいられないなにかが自分の中にあった。人生を捨てる恐怖と闘う際、「まあ、ダメなら死ねばいいだけだろ」と考えると、気持ちが落ち着いた。

以来、何かたいへんなことが起きたり、大きなチャレンジをしたりするときには自動的にそう考える。「運が悪けりゃ死ぬだけさ」――その昔、人気を博したドラマの決めゼリフが頭に浮かぶのだ。そのおかげで、ほとんどのことには動じずにすむ。50代でいまだにそれをやってるのは、中二病のこじらせすぎだろうが、事実である。

◆宗教はストッパーになり得るか?

ルームにはイラク出身の方も参加してくれた。承諾を得て少し突っ込んだことを聞いてみると、ご本人はもともとイスラム教徒として育ったが、今は信仰を持たないという。彼曰く、イスラム教では自殺を明確に悪と断じているので、信者に自殺者は少ないだろう、という。

実際、多くの宗教が自殺を禁じている。一神教であるイスラム教やキリスト教では、命や身体を「神から貸与されたもの」と定義するらしい。そのため、勝手に傷つけたり破壊したりすることは許されないのだ。

ほとんどの人が信仰を持たない日本人にはあまりない発想だろう。そんな中、つよぽんさんは「借り物」という考えにシンパシーを感じるという。信じる神を持たないので、「運命」が自分に与えたものだ、と認識しているらしい。その上で、自殺も一つの運命――社会や自身の病理により、追い込まれたという一般的な考えに則るなら、それもまた抗いがたい流れの行き着く先ではないか、との主旨で自身の認識を語った。

今回、つよぽんさんの発言に問題がある、と通報がなされたとしたら、この部分を間違って解釈した人がいたのではないか、と考える。

◆不寛容な社会が人を不幸にする日本の現実

ルームにおいては、自殺の原因も話題に上った。もちろん、さまざまなケースがあり、ひとくくりになどできない。ただ、世界で断トツ(WHO勧告に従ってカウントするなら)となっている自殺率を前にすると、日本独自の原因を探すトライには意味があるだろう。

メディアでも近年しばしば語られているが、日本人は生真面目な分、不寛容である。ルール厳守や完璧な仕事を求め、それができない人を「モラルが欠如している人」として責める。謝罪を受け入れる文化(受け入れさせる文化)がないため、一度責められる側に回ってしまうと、ひどい目に遭う。

実は、他者との関係のみならず、自身が自身を認識する際にも同じ現象が起きる。つまり、他者から責められたとき、自分でも自分を責めてしまい、許すこともできない。そうなると、自分からは逃げ切れないため、死を選ぶしかなくなるのだ。

イラク出身の方も「日本人はアラブ系の人に比べて、圧倒的に自分に厳しい」という。イスラム教徒は神様との約束である戒律は守るが、人との関係はルーズであり、自分にも甘い、とのことだった。もちろん、これはただ一人の見解であり、汎用性については検証の余地が大きいが、日本人として暮らしていると、うなずける話だ。

◆体験談と論じることのバランスをとりながら

今回のルームで、モデレーターである私とつよぽんさんが緊張した瞬間があった。家族が自殺した経験を持つ人が登壇されたときだ。事後処理のたいへんさを語る言葉には体験者ならでは重さがあった。「悲しいよりたいへん」というのがその方の実感だったようだ。結論として「遺族としては自殺はなしだ」というのは理解できる。

ただ、別の参加者からは体験者の感情により論を終わらせるのは意味がない、との声も上がった。私もつよぽんさんも、どちらかと言えばそちらを重視した。遺族への配慮は必要であり、言葉のチョイスなどはする。ただ、できる限り話し合う努力を続けたい。

幸い、体験談を語ってくれた方は話ができたことについて、チャット上に感謝の言葉を残してくれた。私たちの選択が正解だったかどうかはわからないが、意図は伝わったのではないか、と思っている。

◆まとめ

今回のテーマは本当に重く、多くの人に影響を与えるものだった、と今さらながら感じている。ただ、だからこそ、開催したことに大きな意味があった、と思うし、終盤になってつよぽんさんのアカウントが停止されたことはとても残念だ。

少なくとも、暴言を吐く人はおらず、最後まで参加者のみなさんも冷静に穏やかに話をしてくれたルームだった。誰でも登壇できるようにしているので、異論がある人は、語ってくれればよかったのに、と思う。それもまた、参加してくれた方の学びになったはずだ。

これから、運営側に事情を説明して、つよぽんさんのアカウント復活をはかることになる。言葉の壁が心配だが、私たちの真意を理解してもらえるよう、願ってやまない。

by Yoshihiko
以下は今回の件について、つよぽんさんから寄せられたメッセージである。

(つよぽんより)

数日後、僕のアカウント停止は解除されました。アカウントが使えなくなった理由についての連絡はないため、なぜclubhouseに入れなくなったのかはわかりませんが、今後もセンシティブな内容を取り扱う際には、充分配慮していきたいと思います。


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