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倶楽部サピオセクシャル日記⑰ サピオな人が感じる「与える楽しみ」と「もらう喜び」について

いきなり春めいてきた感があり、仕事場の窓から見える淡路島が本日は霞の中である。春眠暁を覚えずと言うが、昨夜は27時までルームにいたこともあり、眠気がまだとれない。

少しばかりたゆたう気分の中、まとめを書いてみたい。

■人は与えられなくなったら死ぬ? 医師からもらったテーマ


今回のテーマは仕事の中で触れた知見がきっかけとなって生まれた。救急医療の最前線で働く医師に取材していたところ、「人はいつ死ぬのか?」という話が出た。医学的には脳死や心臓死をもって人はみまかったものと判断される。

だが、その医師は「人は他人になにも与えられなくなったときに死ぬ」と語った。一般に、こういう話をすると、財産やサービス、知見といった一義的に価値のあるものを「与えるもの」としてカウントしがちだが、彼の定義はそれとは少し異なる。

もはや家族などの関係者に経済的な恩恵をもたらさない高齢者であっても、その人が生きていることに、関わる人たちが安寧や喜びを感じるなら、なにかを与えている、と判断できる、と言うのだ。この考えに沿うなら、私たちは与えることで生きている、言える。

というわけで、生のベースとも定義される「与えること」さらには対義語である「もらうこと」について考察を深めてみたい、と思いこのテーマを設定した次第である。

■存在することで生まれるエネルギーの循環


人が人になにかを与える、という行為には2つの種類がある。贈与する側が意識して行うプレゼントともらう側の意識によって生じるギフトである。
前者はわかりやすい。誕生日やクリスマスのプレゼントはもちろん、旅行先で買うお土産もこれに類する。一方、後者は少し存在を認知しにくい。受け手の側が感謝の意を示すなどのアクションを起こさない限り、与えている側が気づかないこともしばしばある。

しかしながら、社会や家族と関わりながら生きている多くの人は、実はこのギフトを無意識のうちに誰かに贈り、誰かから受け取っている、と考えられる。参加者の一人はこれを「エネルギーの循環」と呼んだ。

今回のルームで、この言葉に出会えたことが、私にとっては大きな収穫だった。制作中の書籍において、一つの柱になる言葉だと感じている。

■宇宙飛行士に会いたい! その波紋とフィードバック


ルームに参加する中で、具体的な話が出てくると、私はとても萌える。私にとってサピオセクシャルを感じる瞬間なのであろう。今回、相方のつよぽんさんが語った「宇宙飛行士に会いに行った話」は個人的にはかなりセクシーだった。

つよぽんさんは引きこもりや不登校の若者に自宅を開放しているのだが、やってくる大学生の一人がある日、「宇宙飛行士になりたい」と呟いたという。それを聞いたつよぽんさんは毛利衛さんに手紙を書いて、面談の機会をとりつけた。その経験がどう作用したのかは不明だが、件の大学生はより積極的に活動するようになり、著名なIT企業で今は活躍しているそうだ。

興味深いのは、「毛利さんとの面談」がもたらした効果はその大学生にとどまらなかった、という事実である。彼とつながる引きこもりや不登校の若者たちの魂にもなにがしかの「波」を起こし、「やればできるかもしれない」という思いを惹起したのだ。

これは宇宙飛行士に会いに行く、という大きなイベントでなくても起きるらしい。引きこもり仲間の一人がアルバイトをするようになると、他の若者は「自分にもできるかも」と感じ、実際に活動をし始めることがあるらしい。

生きている人はさまざまな活動をする中で、意図せずして波紋を周囲に描く。その波が誰かの推進力になるケースは決して珍しくないのだろう。

■与え上手vsもらい上手 Excelでプレゼント管理も


「与える」「もらう」どちらが得意か、という話題も興味深かった。多くの人はある程度のバランスがとれているものだが、ときどきどちらかを極端に得意とする人がいる。私の見立てでは、相方のつよぽんさんはもらい上手だ。その点ではうちの妻と似ている。

私自身はもらうのが下手だ。若いころは特に、なにかをもらったら「貸借関係」が気になり「返さねば」という強迫観念に駆られることもあった。同様の感覚を持つ人は少なくないようで、ルームでは「もらったものをExcelで管理していた」という声が上がった。

ただ、もらい上手な人は、単にもらっているだけではないと思う。彼らは日常的には与えることもとても得意としているので、立場が逆転する際には堂々ともらうことができるのだ。私はこれを収支関係だと認識している。

言葉や気配り、思いやり、楽しい気分など、人が人に与えられるものは物品やサービス以外にもたくさんある。それらの収支がある程度とれていないと、その人間関係は長続きしない、というのが私の持論だ。

一見するとシビアな論かもしれないが、「与えるもの」「もらうもの」の中にエネルギーの循環――その人の存在がもたらしてくれる益を含めるなら、定義として受け入れやすい気がする。


さて、こんな感じの会話に私自身は27時まで参加していたが、その後は睡魔に襲われたため退出した。その直前、話題になっていた「ウルトラマン」が気になって仕方がないことを付け加えておく。

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