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きみの大好きがきみになる日

新譜の発売で感想を書くのはオタク人生で初めてかも?
私は文章を書くことは得意ではなくて、むしろ自分の感情をうまく言語化できないことにフラストレーションを感じることが多いから、大抵はライブ後の熱量だけで乗り切って感想というか自分語りを書いていたりします。

だから、新譜の発売だけだと、あまり感想を文章にしようという熱量は沸かなかったりするんですけど、今回は発売後すぐにオタクたちに会えたことで、言語化したいかも!となりました。

というのも、さぴまる会?なるものがあるらしいんだけど(他人事)、今回そこまでいのりちゃんの話をできなくて、申し訳ないなぁなんて思いながら、じゃあ次会った時のために、ちゃんと自分の中の感情はアウトプットしておこうと思ったわけです。
来てくれたオタクありがとう。今度は私が真剣部になっておくので、かかってこい!!

新曲は多ければ多いほど良い?

早速アルバム発売前を振り返っていこうと思います。あんまり覚えてないから、ちゃんとツイートしておけばよかったなぁ…

ハーフアルバムと聞いた時は、「もっと新曲聞かせてくれ〜!」ってなった自分と、「シングルより多いけど、アルバムより少ない方が、解釈の幅が広がって楽しいそう!」ってなった自分がいたような気がする。

新曲は多ければ多いほど良くて、いろんないのりちゃんが見られる反面、それをひっさげたツアーでは、セトリのほとんどがアルバム曲となることが個人的にはポジティヴにもネガティヴにも捉えられた。
ポジティヴな面では、セトリに統一感が出ること。ネガティヴな面では、既存曲が活かしにくいこと。一長一短だからしゃーない。

だからこそ、ハーフアルバムというのは画期的だな〜と思った。
アルバムだと統一感を持たせなきゃ!っていうのがハーフアルバムだとそこまで意識しなくて良いというか、一見するとバラバラのものをひとつにまとめてみることで、むしろその中にあるコアな部分がいのりちゃんの今後の核になるというか、たくさん言葉にしないからこそ、大切にされるコアな部分というか…
シングルだとそのコアな部分を表現するには曲数が少なすぎるけど、アルバムだと語りすぎるというか、いのりちゃんから「自分とはこうです」と提示されるのがアルバムだとしたら、いのりちゃんが無意識に「私こういうのが好きなんだ〜」って出してきたものの中から、聞いた人が「いのりちゃんってこういう人なのかな?」ってのを見つけ出せるのがハーフアルバムに感じたりした。感覚的な話だけど。

そしてライブになった時、既存曲から選ばれる曲たちと繋がることで、既存曲にも新しい一面が生まれていく瞬間を想像すると、ハーフアルバムってめちゃくちゃいいなぁとなてり。

C'est la vie!

今回ジャケット写真をフランスで撮影されたということで、自分としてはひとつ小さい夢が叶った気がしました。

学生時代、いのりちゃんと同じか、それ以上に好きで打ち込んでいたのがフランス語だったので、自分の好きといのりちゃんの好きが、こんなタイミングで重なると思っていなくて、とにかく嬉しかったです。

そして、ひとつ夢が叶うと、またひとつ夢が現れるものだと知りました。小さいながらも夢の向こう側というやつかもですね。
昔、Japan Expoにいのりちゃんが出る日を夢見ていた自分は、そんなの叶うわけないと思っていたけど、まさかいのりちゃんの口からフランスでライブができたらいいねという話が出ると思っていなくて、冗談かもしれないけど、いつか叶って私を横転どころかバク転させてほしい。

さっそく曲順にダラダラとファーストインプレッション的なことを書いていきます。
珍しくオタクポリシーを破り、通勤電車内でさらりと聴きました。それくらい発売週は忙しかった。そしてまだ忙しい。

1.heart bookmark

購入特典が発表された時、おそらくこの曲の歌詞が書かれていると思われる特典がいくつかあって、いのりちゃんの作詞だろう(確信)となった。
仮にいのりちゃんが作詞していないとなれば、岩里さんだろうなって思えたのは天才だったと思う(後出し顔真っ赤なオタク)。

それくらい、いのりちゃんの解像度が高い歌詞だった。私の中で、岩里さんと栁舘さんはいのりちゃんの解像度が高くて好きな作詞家さんだけど、栁舘さんは曲の世界観の中にいのりちゃんを重ねるのが上手いなと思っていて、一方岩里さんは、ストレートな歌詞で、誰が聴いてもまっすぐな想いが伝わってくるところが好き。
あと、今のいのりちゃんらしさもありながら、未来のいのりちゃんへの手紙になるような歌詞が好き。何年後かに歌っても説得力がある歌詞だと思う。

特典で見ていた歌詞の中では「あの日、蕾が開きました。」が刺さっていたけれど、あの日っていつなんだろうね。っていうのが最初の印象。

"つぼみ"というワードはいのりちゃんの歌詞に頻出ワードだし、私はそれに毎回一喜一憂しているけれど、いのりちゃんにとっても大事な言葉であり続けていたらいいなってずっと思ってる。
あの曲が歌われなくなってから、もしかしたらこの曲にネガティヴな印象や思い出があるのかな?と勝手に心配していたけれど、たぶんそんなことはないって今は信じてるし、いつかまた聴ける日が来るだろうし、そこに私もいたい。
だからこうやって大事なワードとして、今も使われていることがうれしい。

こんなこと言いながらも、発売してから、蕾どころの騒ぎじゃなくてひっくり返ってた。
"青い、海"とか"虹"とか"光"とか、ベタだけど、横転。歌を聴きながら、自分がいのりちゃんと歩んできた日々を、この一瞬の歌詞で思い出させてくれるのすごいなぁって思った。

蕾は今までも出てきていたけれど、"青い、海"とか"虹"に触れた歌詞って今まであったのかなぁ?教えて欲しい。
自分にとって虹の時のことがようやく過去として認識できた今だからこそ、グッときたというか、虹の頃を、ついこの前のように思っていた私では、感じられなかった懐かしさがあった。
武道館でまた、って話をわたしは忘れてないよ。

蕾だけでも一生話せるけど、他の歌詞も好きだったのでいかザックリと。

「きみの大好きがきみを作ってくよ」
今のいのりちゃんはまさにこれだよね。
昔のいのりちゃんはどちらかというと、自分の好きを出すことに抵抗感があるような印象だった。

例えば、昔だったら奈々さんが好きなのに、頑張って一線引こうとしているような感じだった。
今なら奈々さんが好きな自分も自分で、同じレーベルのアーティストとしての自分も自分って感じが、この前Mの世界に出演した時も感じられた。

そんならしさあふれる歌詞でありながら、私たち聴き手の背中も押していて、好きな歌詞。
好きの気持ちを大切にしていくと、それが未来の自分を作っていくって私も思うから、これからも好きをたくさん言葉にしていきたいな。

「幸せっていう感情はなんだかまだ少し大袈裟な気がする」
これも共感!
幸せって言葉は結構使われるけど、幸せってまだちょっとわかんないというか、それって楽しいとか好きとかもっと単純な感情で良いじゃん!って思う。

等身大のいのりちゃんだな〜って思った。
"幸せ"はいのりちゃんの他の曲の歌詞にも出てくるし、しあわせいのりまちだし、だけど今のいのりちゃんは幸せは大袈裟って言ってくれるのが嬉しい。書いたのはいのりちゃんじゃないけど。

「誰も味方がいない日も味方になれるそんな歌を歌って」
最初に聴いた時に一番刺さった歌詞。
いのりちゃんの曲はまさにそういう曲が多いし、自分はいのりちゃんの曲を聴く時は寄り添って欲しい時だから、もうずっとわたしの味方でいてくれてるよ〜ってなった。

「未来のわたしは今日のわたしと歩いてる」
ここの歌い方が好きだった。
切実というか、説得力があるというか、当たり前のことなんだけど、すごく訴えかけられた。

未来の自分なんてわからないけど、少なくとも今日の自分が明日からの自分を作っていくから、だったら好きでいっぱいの自分でいたいよねって思った。

2.フラーグム

フレーズ(フランス語でイチゴ)じゃないんだ〜ってのが最初の感想。まあラテン語だし誤差かな?笑

曲自体の最初の感想としては、メロディがドラマチックで好き。一方でサビのいのりちゃんの歌い方はひっかかった。
かなり私の中で引っかかって、glow以来の脳内オタク審議会が長らく開かれていたりもした。

曲がドラマチックなのに、歌い方が弱々しいのはどうなんだろう?と思う自分と、むしろサビ以外はこういう歌い方のほうが、感情乗っていてすごくあっているよねって思う自分が葛藤していたけれど、「好きなところが少しでもあるなら好きってことでだけで良いじゃん!」ってとある人にheart bookmarkの本質を叩き込まれたことで審議会終了。

たしかに、私は音楽評論家ではないし、私はいのりちゃんのプロデューサーではないし、私はいのりちゃんのファンなのだから、好きなところだけを見て好きって言い続けていても問題はないよねって思った。
ある意味でファンは無責任で良いのだと思う。
それでいてファンは好きでいることが推しへの最大の貢献なんだと思う。(お金を落とすことが1番とか言わないで)
単純に、あなたのここは好きじゃありません!って好きな人に言うのはお互い楽しくないよね〜とも思うし。

あとは、聴く環境は改めて大事だなと思った。
ラジオ初公開は私にとってはマイナスに働くことが多い。でも、あくまで私はって話であって、ラジオで初公開すること自体はいいことだと思う。

私はファーストインプレッションで余計な感情を持ちたくないからフルで聴きたい。
というのも、フルを聴いた上でネガティヴな感情を抱くのは仕方ないけど、一部だけ聴いてネガティヴな感情を抱いてしまうのは悲しいと今回思った。
あと、ラジオ版って音悪い気がするのは私だけかな?もしかしたら思い込みもあるかもだけど。

そんなこと言いながらも、この曲はわりと今回のアルバムの中で好みな方だったと思う。メロディも歌詞も好き。つまり最高!たぶんタイアップとしても最高!(予想)

言語化能力が低すぎて、この曲を最初聴いた時"ドラマチック"って表現したんだけど、ドラマチックな曲って壮大な曲のことかも?ってなって焦っていたら、いのりちゃんもMの世界でドラマチックって言ってたから大正解じゃん!ってにっこり。
私がドラマチックなメロディって言ったのは、物語の起承転結をメロディから感じるってことだったけど、いのりちゃんが歌詞で主人公が成長していくって話をしていて、なるほど〜ってなってた。

Aメロあたりの息遣いのうまさが、いのりちゃんの今の歌唱法?のいいところだな〜って思う。前から語尾の息の抜き方?みたいなのが魅力的だなぁと思っていたけれど、今の歌い方になってより感情が乗って魅力的になったと思う。

憧れを甘酸っぱいイチゴみたいと表現していたけれど、最初その話を聞いた時はふーん?ってなっていたのが、Mの世界で奈々さんに対してその話をしている時にふとしっくりきた。
私も奈々さんに憧れて、自分も奈々さんみたいになるぞ!って思っていた時、たしかに今あの時を思い出すと甘酸っぱかったんだと思う。
今も憧れは変わらないけど、自分は自分と気づいてからじゃないと、甘酸っぱさには気付けないんだと思う。たぶんね。

最初この曲を聴いた時は、オタクの歌だと思っていたけれど、フルになってみたらいのりちゃんから私たちへのメッセージになっていて、ファンと推しは相思相愛だな〜って思った。
私たちも好きだなんて迷惑かな?って思うし、特に秀でた才能とか地位も名誉も持ってないけど、いのりちゃんがそれでもいいって言ってくれてるから好きでいられる。
いのりちゃんもそんなこと思っていたりするのかもな〜って最近は思う。

以下歌詞について。
「"それでもいい あなたがいい"と言ってくれたから」
グッときた歌詞。
発売前は歌詞の通り、言われたのは"それでもいい"からだと思っていたんだけど、発売後急に「それでもいい。あなたが"いい"と言ってくれたから」って場合もある!?ってなってひっくり返っていたけど、歌詞見たら違ってたし一安心。
どちらも同じような意味のセリフだけど、"それでもいい"とどちらが言ったのかは文脈上大事だよな〜ってぼんやり考えてた。

「どんな敵にもハロー」
「どんな出来事にもハロー」とか「どんな時でもハロー」とか、耳が悪すぎて、歌詞が何か想像するのが楽しかった部分。
ハローはやっぱりハロホラをイメージしてしまうオタク。

「小さい頃描いてた憧れには程遠いかもねだけどいいや」
憧れに対して、だけどいいやと投げ出せるのは素直に羨ましい気もした。
もっと好きになれるものってなんなんだろう…?
なんだか憧れていた自分とか、過去の自分を否定する傾向にある気もして、寂しい気もしていたから、その気持ちを思い出した歌詞。

「かっこつけていいこと言おうとする失敗しちゃうし 明日の天気も正直わかんないけど」
上で感じた寂しさを一発で吹き消してくれた一番好きな歌詞。結局誰しもこれじゃない?って思った。
みんないろんなこと悩んだり、なんとなくわかったようなフリしたりするけど、結局明日の天気なんて誰もわかんないんだと思う。
潔い歌詞で、私もこうなりたいと思った。明日のことなんてわかんないです!って言って歩きたい!
投げ出すというよりは、C'est la vie!ってこと。しゃーない!それも人生!

3.4曲目は既存曲のため割愛。申し訳なさ。

5.ほしとね、

事前情報を何も持たず、星の歌であることだけしか知らず聴き始めたから、一文目の歌詞で横転。櫻澤さんか〜〜!!!となてり。

オタクに話してから、ちょっと違うかもな〜となったけど、ファーストインプレッションが大事なので、一応書いておく。

私のこの曲への印象は、"Starry Wish"と今のいのりちゃんの対話だった。
星空に語りかけているけれど、まるでStarry Wishに語りかけているように感じた。
発売した頃は気づけなかったけど、こうなる未来を知ってたの!?って。

歌詞は未来のいのりちゃんへの手紙だといつも思っていて、レコーディングして出来上がった時いのりちゃんが曲に抱く感情や解釈は、未来のいのりちゃんとは違うから、未来のいのりちゃんからすれば、あの時の自分は今(未来)の自分を知らないのにこんなに解像度の高い歌を歌っていたの?ってなると思った。まあこれもStarry Wishも作詞してないけれど。

という妄想は置いておいて、We Are The Musicと近しい世界観で、音楽を純粋に楽しんでいこうみたいなテーマは好きだなぁと思う。

実際歌い方も結構自由な感じというか、いのりちゃんがその時の気分で歌い方を変えていく感じになるのかな?毎公演楽しみだね。

We Are The Musicの時に感じたけど、私は曲に対して歌詞が先にくるタイプだから、音に乗ろう!自由に楽しもう!みたいなのよくわからなかったんだけど、いのりちゃんと歩んでいく間に自分も変わった。

特にこの前の町民集会のアコースティックライブで、音を自由に楽しむこと、身体が音に合わせて勝手に動く感覚を知れたのは新鮮で、長くいろんなアーティストさんのライブに行っていても、知らない世界はまだまだあるんだな〜って嬉しくなった思い出。

実際に、このアルバムで最初に公開されたフラーグムでも、歌詞より先にメロディのことを好きになって、私も変わったなぁって思った。
いのりちゃんが伝えてきたメッセージで自分が変わっていくのが嬉しかった。

この曲もそんな感じの歌で、いのりちゃんも最近はそういう自由に楽しもうよ!ってメッセージが増えたような気がする。
ライブ中のMCでも言っていたりするけど、楽しみ方は人それぞれだし、それをこの曲から感じられて、ハーフアルバムという少ない曲数の中に盛り込まれた、いのりちゃんの核となる部分のひとつなんだと思った。

「弱音は歌に隠すわ そんな私を見ていて」
表情観測部から言わせてもらいますと、今回の注目観測ポイントここです!!
最後の表情がどうなるのか私は楽しみで仕方ないです!!部員募集中なので、私のいない公演の分も観測情報求めてます!!
(照れちゃったりするのかなぁ?わくわくだけど、大体私の解釈はいのりちゃんよりもネガティブなことが多くて、全然違う表情されるから、そういうところも好き)

6.グラデーション

未開の曲。
自分はこの曲を全然理解できなくて(他の曲が理解できているという話ではない)、他の人の話を聞きながら、ライブにいきながら考えていきたい。

初めて聴いた時は、花澤香菜さんの曲に似ているなぁと思った。なんか寝る前に聴きたい曲。
2番Aメロあたりが花澤香菜さんって感じ。
オタクに話したら、サーキュレーションだからねって言われて、完全に花澤香菜さんの曲になってしまったわたし。
ココベースってアルバムが好きでよく聴いていたんだけど、いのりちゃんもそういう曲似合うからカバーしてほしい。
それでいえば、いのりちゃんの寝かしつけ曲シリーズとグッモーニングシリーズの曲が好きで、この曲は寝かしつけシリーズに入りました。(勝手につけたので誰も知らないシリーズ)

永遠なんてないって言われて、また町民集会の三月と群青を拗らせ始めたけど、三月と群青のそれとはちょっと意図が違うもんね。
おそらく夢を叶えたであろう今、まだ道の途中と言ってくれることが嬉しくて、永遠なんてないのはお互い様だから、それを永遠はあります!って言う人じゃないのが好きだなぁって改めて思ったし、永遠がないから、私は毎回最後という気持ちのままでいられるんだと思う。

7.燈篭光柱

ダントツ!ダントツ!!私の好きなやつ!!!
さすが栁舘さん!!!ってなった。
多分みんなそうなんだろうけど。

タイトル出た時は中華系の曲か?(そんなジャンルあるかは知らんけど)って思っていたから、イントロ入ってオロオロしてた。バラードか〜私の好みではないかな〜?ってなりながら聴き始めた。

だけど、そこから徐々に熱を帯びていくメロディと疾走感に、まさにお祭りで人混みに紛れていくかのような感覚が楽しかったし、激った。
自分が珍しく夏祭りとご縁のある年だったから、余計に自分の体験と重ねられて、懐かしい気持ちもありながら、いのりちゃんと祭りという新鮮さにもトキメいた。

失礼ながら、今の歌い方で、これだけドラマチックダイナミックエモーショナルな曲を作れることはないのかもしれないと思っていたから、本当に私はファンなのにいのりちゃんをちゃんと信じきれていなくてごめんなさいとなった。
町民集会の時もだけど、いのりちゃんには無限の可能性があって、しかもそれを諦めていない、一歩ずつ着実に進んでいる人なんだな〜って思った。

歌い方は今のままでこういう曲を作るにあたり、栁舘さんみたいな人とは相性がいいんだろうなと思う。レコーディングは大変かもしれないけど、いのりちゃんの表現はただ歌うことだけじゃないから、息とか声とか、使えるもの全部使って、音もたくさん使って、これからもたくさん新しい世界を見せてくれるのかも知れないな…

岩里さんのところで書いたけど、栁舘さんはこういう世界観を作って、そこにいのりちゃんであったり、伝えたいメッセージを落とし込むのがうまいと思う。
あと、言葉に流れとか熱量を込めるのがうまい作家さんだと思う。うまいと言うと上から目線のような気もするけどうまいもんはうまい!
「信じていた 信じている 信じている」「愛していた 愛している 愛していく」とかベタだけどうまいな〜あっぱれだな〜だし、最後大サビの「今」を重ねているのもあっぱれ!一呼吸置くことや、言葉を重ねることで、自分の全てがこの曲の世界に引き込まれる感覚が最高すぎる。音源でこれって、ライブが恐ろしすぎるよ!?

サビとか天才だよね!いのりちゃんの歌はもちろんだけど、そこに合わさる音、音、そして音!これライブだとどうなるんだろね?オタクたちも入ってわっしょいしていいんかな?

私の中のライブのイメージはまさにこの曲のようで、ライブはボーカルの声だけでは成り立たなくて(アカペラとかは置いといてね)、楽器の音とかSEとか、観客の拍手とかざわめきとか足音とか、音こそなくても照明とか、そこにある全ての必然とか偶然が合わさって、ライブができていると思うから、ライブを祭りに喩えるって素敵だなぁってなった。

目で見えるもの、耳で聴こえるもの、熱さは本当にそうなんだけど、匂いか〜って考えちゃった。ライブの匂いってなんだろな?って思い返してみると、オタクの汗と、汗拭きシートの匂いと、ポカリスエットの匂いが私の中のライブの匂いかな。いのりちゃんの匂いの思い出もください。(迫真)

「どこまでも私たちと」は最初聴き取れなくて、「どこまでも私のこと」って聞こえてた。私たちはチームいのりってことかな?
最近のいのりちゃんは自分のチームをすごく大事にしているというか、ものすごく距離が近い気がするから、メイキングとかたのしみだな〜

わたしは今年はお祭り女になるぞ〜〜!!!



というわけで、ここまで感想をダラダラと書いてきたけれど、相変わらずまとめる気はなくて、思いついた順番に書いたから、こんな感じなのに読んでくれた人はありがとうございました。

オタクたちが口を揃えて、「さぴまるは曲に自分を重ねている」と言っていて、私は音楽を聴くことは自分と向き合うことだと思っていたけれど、他の人は案外こういう聞き方してないのかも?って最近思い始めた。
でも、この感想からは伝わらなかったかもしれないけど、珍しく今回は自分に重ねる部分は少なくて、いのりちゃん自身に重ねて聴いていた。
今のいのりちゃんはこんなこと考えているのかな?想いを受け取れているのかな?って考えながら聴く曲が多かった。
その上で自分に重なる曲がダントツ大好きではあるんだけどね。

今回のプロモーション期間はほとんどTwitterも見ず、ラジオも雑誌も読まず、怠惰なオタクとして発売日を迎えたんだけど、今まではそんな自分を嫌だなって思っていたのが、最近なくなった。

フラーグムのところでも言っていたけど、少しでも好きなところがあるなら好きを認めてあげればいいじゃんって肯定的になれたのが、今回いちばんの収穫で、私はいのりちゃんの好きなところを全力で好きでい続ければそれでいいんだなって思えた。
毎日オタクできなくても、考えない日があっても、好きでいた時間とか、好きなところとかは変わらなくて、他の人よりもゆっくりオタクしている分、これからたくさんの楽しいとか新しいことが待っているんだと思うとワクワクする!

そんな気持ちをheart bookmarkから得られた2024年のツアーは、どんな風になるのか今から楽しみです!
glow以来の、オタクとしての最大に伸び期間かもしれないから、みんなかかってこい!!!

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