パフォーマンスいわれ10「サディスティックサーカス3」
2007年サディスティックサーカス。前年に芝居風「サロメ」を演じて、手応えを感じた。このイベントでは皆、じっくり観てくれる。なので自分が本当にやりたいものをやるべきだ。「ショー」としてお客様に媚びることはない。サディスカ3回目でようやく自分のやるべきことが見えてきた。
そこで今回はかねてから心に思っていた三島由紀夫の「憂国」のアレンジにトライした。
作家三島由紀夫の作品で名作と呼ばれるものは多数あるが、
三島由紀夫自身がもっとも忘れがたく、代表作として挙げているものが
「憂国」である。
「自分の良いところも悪いところもひっくるめてわかってもらえる作品」
と書き残している。
2、26事件後のある青年将校の実話をもとに殉義の死を書いた作品であり、夫の切腹後、夫を敬愛していた妻も夫に添い遂げるべく自害するという夫婦の情愛物語である。死を目前に行う夫婦の情交シーンでは、三島氏の文体の繊細さが溢れている。ぴったり張り付くような密着さを感じさせながら、決して赤裸々ではなく、男と女の真摯な情愛が書かれていて感動させられる。
そして三島氏の想いは小説だけにとどまらず、自分のすべてを投げ込み、
1965年に自作自演で映画製作もしている。日本より先に海外上映し、いずれも高評価であった。フランスでは女性卒倒者も出て話題になり、三島氏は痛快であったそうだ。
2006年にこの「憂国」はようやくDVD化された。
私は海賊版で見たことはあったが、このDVDでじっくりと見ることができた。小説を20代の時に読み、感動を受け、いつか演じて見たいと漠然と思っていたが、この映像をしっかり観て、俄然意識が高まった。私は妻の麗子を演じてみたい。
しかしアレンジするにも大きな相違点がある。三島氏は腹切りは男の美学。武士道だ、と考えていた。だから女の腹切りは認めなかった。しかし私の考えは違った。私は妻麗子も切腹した、と思った。ま、こんないちマニアがアレンジするのなら許してもらえるかな、と勝手に考えた。
妻麗子は愛する夫が目の前で心と体が戦う腹切りを見た。凄惨な姿を見た。今まで知っていた夫とは違う夫を見てしまったのだ。そのことに妻は寂しく、悲しい想いを感じたことであろう。私と違う世界へいってしまった、と。そして妻麗子は決意したと思う。私も夫と同じ苦痛を味わってみたい。切腹して果てたい。夫とひとつになりたい。
夫を信じ、尊敬し、愛しているからこそ、妻はそう想うに違いないのだ。三島氏の原作にもそう思わせる文がある。夫の切腹を見届けている最中の妻麗子。
「麗子は自分と良人との間に、何者かが無情な高い硝子の壁を立ててしまったような気がした」
すぐ目の前に愛する夫はいるのに、もう自分の知っている夫ではなくなってしまった。私は「麗子」となり、夫と同じように切腹して果てることを選んだ。こうすることにより、二人の魂はより誠に結ばれる、そう信じて麗子は決断した、と感じたのだ。
私は「麗子」目線で物語を見て、ナレーションをつけた。ナレーション最後、つまり妻麗子の腹切り前は「私は良人と同じ苦痛を味わいたくなったのです。…さぁ、硝子の壁が破られる時。あなたの苦痛が私の中に入ってきます」
衣装は、白着物、白襦袢に「切腹を勉強したい」と言ってくれていた颯輝嬢に、模様と染色をお願いした。彼女は美術を勉強していたから。当日の音楽は、電子ピアノで友人につけてもらった。
(写真/麦谷尊雄)
パフォーマンスと腹切りを融合させた「憂国」は、大まかには「麗子夫人」を幸せに腹切りまで導けたと想う。私自身気持ちよく昇天できた。しかし、もうちょっと表現したいことができた。心情的な面で。きっといずれリベンジしよう、と心に誓った。(それは2017年札幌でのソロパフォーマンス公演で完成できたが、この話はいずれまた)