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サディスティックサーカス2024 「昭和エロクロニクル」

 2024年10月。 コロナ期間を経て、5年ぶりのサディスティックサーカス。スタッフ共々気合いが入る。
 2024年の初夏から話があったが、この4年の間にいろんな事に変化が起き、今回のサーカスでは「初心に帰った」気分で再構築したい、との相談があった。
 さらにタイミングの出会い。銀座「ブラックハート」でスタッフをしている蓮ちゃんが「金粉」をやりたい、と話した事。中村京子氏とヴァニラ画廊スタッフが逢った事。つまり「金粉」「女相撲」「切腹」を一つのショーにしたい、という提案があった。

 しかしこれはどう見ても「物語」として一つにまとめるのは無理がある。しかも「相撲」は「取り組み」が見せ場だ。かといって今、相撲を取れる京子氏クラスの女力士はいない(相撲には型がある。にわか仕込みで見せられるものではない)。
 そこで私は、「昭和の見世物」として括れば成立する、と踏んだ。昭和の見世物的興行にはこんなのがあった、という歴史も紹介した上で、見世物文化を伝える。

 司会の山田広野氏にナレーションをお願いして、文化を伝える。
 そこでまず私は山田氏に渡す、文化紹介文を作った。 これを語りやすいように山田氏が直せばいい。

「金粉ショー」
 人間の体が仏像のように光り輝く「金粉ショウ」
その神々しい肉体は、ひとたび観たら忘れられない。

 その始まりはヨーロッパであったが、日本に登場したのは、戦後すぐに始まったストリップショウ。しかし踊り子の肌を酷使するため、滅多にお目にかかれなかった。

 その金粉ショウが根付いたのは、日本の新しい踊り「舞踏」が生まれた
1960年代。グランドキャバレーやストリップ劇場で、独自の振り付けをし、男女で踊る「アダジオ金粉ショウ」を観せてくれた。

 しかしストリップは肉体の奥を見せるようになり、正統派ダンスショウの金粉ショウはいつしか消えていってしまった。

 そんな中、若手舞踏家たちが、その伝統の踊りを絶やさぬよう、継承し続けている。神々しい姿は、己の肉体の限界と戦いつつ生まれる。

 本日は、その中の一人「蓮」が、命懸けで神々しい姿を蘇らせてくれる。
 仏のような肉体美、金粉ショウ。
その姿をじっくり眼に焼き付けてもらいたい。

「女相撲」
 日本の国技、相撲。
相撲は男たちのものとしてつちかわれてきたが、その昔、日本の各地で
「雨乞い」のための行事として女相撲が行われていた。
  その女相撲は、見世物興業として昭和の初めから始まり、数多くの女力士たちが体をぶつけ合い、綱争いを行ってきた。

 しかし戦後、日本が高度成長をしつつある中で、女がまわしをつけ、見世物興業に出ると言う事は世間体が悪い、とその存在はいつしか消滅してしまった。

 そして昭和のバブル期。女相撲は再び蘇った。昔のように稽古を積んでいない即席力士たちの中で、メキメキと頭角を表したのが中村京子である。
 中村京子は体のボリュウムと共に強かった。まるで天性かのように「技」を修得し、瞬く間に横綱となり、その名を轟かせた。誰も彼女には敵わなかった。
 日本で唯一の女横綱、貫禄たっぷりの中村京子の四股。
とくとご覧頂きたい。

「切腹」
 切腹は江戸時代、武士の責任の取り方として「武士道」が確立された。
 武士道の心は昭和になっても「男のけじめ」として受け継がれていき、さらに敗戦時には、愛国心のため、また乙女は純潔を守るため、切腹を選んで自害した者が多かった。

 切腹には様式美がある。武士道がなくなった戦後、いち早く復興した娯楽の中から、ストリップショウが登場した際、毎年年末になると「忠臣蔵」の演目があちこちで観られるようになり、踊り子たちが演じる侍姿の切腹シーンが見ものだった。
 それを観た男たちは美しい様式美、女性が切腹する姿にエロティックさと共に、悲愴さを見出した。
 しかし性の欲望は果てしなくなり、様式美の切腹は、いつしか忘れ去られてしまった。

 その様式美の切腹ショウを早乙女宏美が復活させた。切腹の作法を守る早乙女宏美の切腹ショウ。その姿をとくとごろうじろ。


 こう書いた以上、私のショーは「儀式」でなければならない。
「儀式」的切腹は2007年のサーカス「憂国ラプソディー」で演じたが、更に儀式的にしようと思った。

タイトル「儀式」
 登場。衣装、白の打掛、白着物。三宝を持つ。朱鞘の短刀(女性持ちなので)。
 こう決めた時、私の頭の中にある曲が鳴り響いた。その曲が三宝を持って花道を歩く姿と重なった。その曲は1990年公開映画「チャイナシャドー」主題曲。サックス清水靖晃だ。日本的というより東洋的な曲の響き。なぜこの曲なのか、理由はない。私の頭から離れなくなってしまった。ずっとこの曲がぐるぐる回っている。
 会場の新宿「フェイス」の花道。ゆっくり、ゆっくり中央へ歩む。

 2曲目。決意。腹を切るには着物を脱ぐのだが、本来「儀式」ならスッと潔く脱ぐと思うのだが、そこはショーである。多少の演出<華>がなければ面白みがない。しかし無機質な音が欲しいと思い、札幌で出会った若手ジャズサックス奏者吉田野乃子氏の「BLOOD ORANGE」を選んだ。多重録音を駆使し、一人で様々な音を紡ぎ出す面白い曲である。

 3曲目。腹切り。この登場人物はどんな曲で死にたいか。それを考える。可憐に美しく死にたい。であれば日本の曲であろう。突き詰めて考えていくとこの曲が浮かんだ。「恋はやさし野辺の花よ」。この曲であればやはり原曲の藤山一郎氏の歌。さらに本番1ヶ月前に思い立ったのは、三宝に髪を切り、捧げる、という所作。ストレート髪のつけ毛を使い、女の命の一つでもある「髪」を捧げた。これで安らかに自害できる。

 こうして今日もある一人の女が美しく、腹切りできた。
心温まる拍手の中、私は満足しきって舞台を去っていったのである。

観劇レポを書いてくださった皆様、ご来場の皆様ありがとうございました。
無事サディスティックサーカスを終われました。

 ただ、荷物を宅急便するのに、AM4時過ぎに歌舞伎町に出た時、
街の酷さに目を奪われた。ここは無法地帯か、、、。
ゴミの散乱、路上で寝ている日本人、外国人、、、。
私の知っている歌舞伎町はもうちょっと秩序があった。
「トー横」ってこういうことか、、、。
なんだかとても悲しくなってきた。
もう「モラル」なんて言葉は無くなったんだな。

「腹切り」の真意が伝わらなくなったのはこういう事なのかな、、、。

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