私が影響を受けたもの1 「<序>早熟な子供時代」
私は15、6歳頃にマゾヒストとして生きる道を選んだ。本来なら「癖」は元々備わっているものだが、まるで職業を選ぶかのように「私はマゾヒストだ」と思い込むように仕向けたのだった。なぜそう思ったかは、これから書いていくが、後から考えてみると、その要素(マゾ的気質)がいくつかあった事に気づく。
まず思い当たる事では、3歳の頃、長女の私は目一杯の愛情を貰い成長したが、それと同時に、わがまま振りをみせ初めていた。自分の意に叶わないとダダをこねる。いたずらをする。叱られる時は「コラッ!」とお尻を叩かれる。そして「押入れに入ってなさい!」
初めのうちは、暗くて湿気臭い押入れが怖く、怯えていたものの、それを面白がっていたのか、ちゃかしていたのか、自分から進んで押入れに入ったり、「もっとお尻ぶって!」とせがんでいた。こうする事で叱られる時間を短縮させようとしていたのかも知れない。今となっては思いだせないけど、そうする事が楽しかった事だけは覚えている。お尻を叩かれる楽しみ…。大人になってしまったから、子供の想い出を美化しているのだろうか。
さらに私の我ががまぶりはどんどん加速し、幼稚園から小、中学校で不登校児、いじめられっ子となった。様々な要因が重なっての事だが、今思うと、甘えていたかったのだろう。家の中で大好きな物に囲まれていたかった。それは両親でもなかった。大好きな人形やぬいぐるみ、毛布、本の中で、大好きな玉子焼きを作ってくれる人(母親)が好きだったと思う(登校拒否の大きな理由に給食問題があった。その結果、家では自分の食べたい物しか口にしなかった。これについてはいずれ書く)。
自分勝手な行動は、今思い出すとひどい子供だったと辟易する。だから私は子供が嫌いなのだ。子供の残酷さを無意識でやってきてしまったから。意識せずに人を傷つけてしまう。両親はどう思ったろう…。
家に居る私は、必然的に本を読みあさるようになる。(ちなみに私は引きこもりでは無かった。夕方になるとお稽古事に通い、近所の子供達と外で元気に遊んでいた。そのため<仮病>というあだ名でもあった)近所の寿司屋の子供達と仲良くなり、その店に置いてあったであろう漫画誌もその子達と読んだ。小学4年の頃読んだ永井豪氏の「ハレンチ学園」で性に目覚めた。スカートめくりをされ、男の子たちにモテはやされるヒロイン十兵衛。のちにテレビドラマとなり、ドキドキしながら見た。私はヒゲゴジラ先生にイタズラされたい、と妄想していた。
それからの私は、「性」に関する情報を知りたくて、母親が買っていた婦人雑誌の相談コーナーを読んだり、父が時折家に持ち込んでいた「週刊プレイボーイ」の性的な記事を盗み読んだり、私が買っていた芸能人雑誌「明星」の相談コーナーを読み漁っていた。当時の相談コーナーは、性的な話が多かったと記憶している。性的と言っても今と違い、「どうやってベットインまで誘っていくか」とか、「キスの仕方」とか、単純な物だったが、それでもドキドキして妄想に耽った。
小説は、江戸川乱歩や横溝正史の小説にハマった。湿った妖しい雰囲気。ちょうどテレビドラマで横溝作品が始まったり、時代劇「必殺!」や「子連れ狼」が放映され、セクシーなシーンが豊富にあった。つまり、女性が悪者に犯されるシーン。私は犯される女優さんを自分に置き換えて見ていた。
そして深夜番組。「11PM」や「ウィークエンダー」。トップレスのダンサーや性犯罪の再現フィルムに興味津々であった。
お小遣いで性に関する本を買ったりし、セックスへの憧れが少しずつ現実的に見え出していく。しかしそれは挿入行為よりも、自分の躰に男性の手が触れる、そんな事を想いドキドキしていた。
単純な想いが変化したのは中学2年の時。時々学校へは行くものの、不登校ぎみは続いており、ましてや片思いなどの恋愛感情も芽生えてきた。私の本好きは相変わらずで、本屋で目にした、素敵なカバーの文庫本に目が釘付けとなった。黒地に洒落たイラストが額のように印刷されている。そのカバーに惹かれて買ったのが、「富士見ロマン文庫」の海外古典ポルノグラフィーシリーズだった。内容に関しては、それ程面白いと感じなかったが、カバーの絵に惹かれて集めだした。(金子國義の作品もあった)
何冊目かに買ったのが「O嬢の物語」だった。単純なポルノグラフィーと違い、一人のごく普通な女性が、恋人のためにマゾヒストの道へ進んでいく。いきなり情け容赦ない掟。鞭の時間。拡張。輪姦。烙印。ハードなシーンが展開されるが、私はその行為に感動した訳ではない。一人の女性がそこまで変わっていける心、精神状態に感動し、涙があふれた。読み終わった時には「私の生きる道はこれだ」と心の扉が開いた瞬間だった。 私は、自分自身の性格に嫌気が差していた。素直になれない自分。両親の前でわがまま勝手に振る舞っている自分。困らせている自分。 しかし本心ではそんな事したくはなかった。明るく元気でいたかった。自分自身に引込みがつかなくなっていた時もあっただろう。ねじ曲がった両親への感情、日常行動。私は根本から自分を変えたいと、はっきり意識した。「O嬢の物語」は、自分の旅を始めるきっかけとなった作品だったのだ。
私は中学卒業で家を出た。自分の道は自分で決める。両親は私の事を、自分たちの想い通りにならないと諦めていたが、内心心配していた。私は親を振り返りもせず、何かに向かって歩き出したのだった。
しかしまだ、マゾヒズムの何たるか、なんて全くわかっていなかった。
続く