見出し画像

思い出のストリップ劇場8 名古屋「鶴舞劇場」

 愛知県名古屋市。ここにはかつて9館の劇場があったが、今、愛知県には1館の劇場もない。
 私は中村区(かつての遊廓街)の「中村大劇」に「オサダゼミナール」時代に3回ほど行っているが、あまり覚えていない。長田氏と仲が良かった劇場であり、長田氏のところへ直接出演交渉の電話が入っていた。

 それよりも「鶴舞劇場」だ。JR名古屋駅から乗り換えて2、3駅め「鶴舞駅」下車、7、8分位。住所は名古屋市昭和区鶴舞2−9−1。
 2003年。初乗り。この劇場は故永井一葉嬢からの紹介である。ここは1956年創立の芝居小屋であり、女剣劇一座が多数乗って賑わっていたという(そう、のちに衣装を分けて頂いた水島さなえ氏の剣劇一座もこの小屋の常連で、社長はよく覚えていた)。つまり親族で引き継いでおり、2003年に乗った時の社長は、子供の頃からこの劇場を観てきた方だ。そんなこともあり、私の芝居的な演目に親近感を感じて頂き、以後1年に3、4回乗っていた。いや、これにはウラがあり、仲が良かった一葉嬢が「一緒にして」と頼んでくれていたようだ。

 ここ鶴舞は歓楽街から外れていたものの、商店街があり飲食店、古本屋など私の散歩時間を楽しくさせてくれていた(確か大学があった)。
 劇場内は本舞台のタッパが高かった。さすが芝居小屋である。とても使いやかった。しかし建物自体は建増しの連続で迷路になっていたし、舞台袖には個室があり、その中の風呂はラブホのような感じであった。つまり「個室」も売りだった。踊り子のほとんどがアルバイトで「個室」を引き受けていた。
 アルバイトといえば、この劇場はバーも経営しており、夜1、2回踊り子がフロアーショーに出る。私も引き受けた。もちろん劇場とは違い、フロアショー用の曲と衣装で。車での送り迎えだが、実際にはそんなに必要とされていなかった。10日間のうち2、3回位だったような気がする。

 一葉嬢と一緒だったことがほとんどであったため、連日の飲み会は欠かせなかった。社長と共にしたこともあったり、一葉嬢の行きつけの店に飲みに行った(もちろん楽屋飲みも)。そんな中でも記憶に残るのはショットバー「バーンズ」という店。フルーツを使ったフレッシュカクテルにハマった。ある時、一葉嬢の誕生日で、店のマスターは一葉にプレゼントを用意していた。もちろん常連さんへの誕生日プレゼントは素晴らしいことだ。私も一緒になって「おめでと〜!」と喜んでいたが、マスターは、一葉嬢の先輩の私に何も無いのは失礼だ、と言い、「何かボトルをプレゼントしますよ」と言われた。私はもちろん辞退した。「先輩後輩も関係ないですよ。何もいらないです。彼女のお誕生日なのだから」。しばらくしてマスターはジャックダニエルのボトルを差し出してきた。
「これ30年ものです。これを持って行ってください」
 私は驚いた。マスターが趣味で年数もののボトルをコレクションしていることは知っており、「いや、それは受け取れないですよ」などと断ったものの、「いや、これを味わってほしいです」というようなことを言い、私にくれたのだ。それ以上断るのは野暮なこと。私はありがたく30年もののジャックダニエルを受け取った。

 でもしばらくは飲めなかった。想いが深すぎて。このまま寝かしておいたらどうなるのだろう、とも思ったが、3、4年立った頃やっぱり飲み物は飲んでこそかな、寝かしておく趣味がない私は、味の方が気になり勇気を振り絞って封を開けた。ジャックダニエルは好きなバーボンで、よく飲んでいたが、30年ものはブランディのようにトロッとして丸みが深かった。

30年ものの捨てられないボトル

 すみません。ここまで劇場に関係ない話題でした。この劇場は初めに話したよう、代々からの引き継ぎなので、演目に対しても社長は独自の目線があった。なので従業員も割と熱心に照明をやる。
 「ゆきおんな」の演目をやった時、紙吹雪を撒かせてもらった(袖で従業員さんに仕掛けの紐をゆすってもらう)。舞台終わりで掃除をし、回収して二次使用できるものはまた使ったが、それは3割程で新たに紙吹雪を作らなくてはならない。私はいつもハサミでチョキチョキしていたが、中日頃からある従業員さんが切ってくれていた。実にありがたかった。
 そして最後となる2006年7月では「おんな忍者」の演目をし、縄梯子を使ったり、黒ビニールゴミ袋の忍者衣装(はい、40枚のゴミ袋衣装を作りました)を、お客さんに引き裂いてもらったり、という演出をしていた。これはお客様に喜ばれていた。冒頭のナレーションを呟く常連さんもいた。
 捉えられて恥辱に遭う前に自害するおんな忍者。
 このストーリーは私も好きであった。「おんな忍者」「くノ一」物は昔から映画の題材によくあったし、男性には人気のキャラクターなのであろうか。
 また、この時も従業員の照明に助けられた。闇夜の中を逃げ回っている雰囲気のようなサーチライトの照明を頼んだら、すぐに理解し、ピンスポットを8の字に回し、それっぽく作ってくれた。

 「泊まり」が苦手な私だが、この鶴舞に乗ることを楽しみにしていた。これだけ協力的な劇場は滅多にない。それに一葉嬢もいるからであろう。
夏になると思い出す。いや、夏以外にも乗っているのだが、一葉嬢の誕生日が7月だから「夏」のイメージが強い。
「ひろみねぇさん、<ハモ>あるんですよ。食べに行きましょう!」
この声がいまだに心の中にある。

 そんな頼りにしていた鶴舞劇場は2006年12月に閉館となった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?