「自縛ショー」デビュー
ストリップ劇場に「自縛」という演目はもともとなかったと思う。伝説の初代一条さゆり嬢は「ロウソクベット」という演目であったし、そもそもSMは独りでは成立しないのだから。
おそらくはじめに演り出した踊り子さんは、アングラ界の人であろう。SMショーはペアなので、いくらギャラが安くなったとはいえ、約二人分であるから、女性一人で乗せた方が安く上がる。女性重視なこの業界、独りになった「ソロ」の踊り子さんがSMっぽい雰囲気ではじめたのではないか。
それともう一方、SM業界では「高級SMクラブ」(プレイではなく飲み屋のクラブ)が流行り出し、店内でショーを演り出した。そうした女性たちが劇場に乗ったということはある。刺青の花真衣さん、森美貴さんなど。彼女たちは自分で縛り、滑車を使って自分で吊っていた。
そして1988、9年頃からAV女優たちのチームが劇場に乗るようになり、1時間近くあるチームショーの中でSMシーンがあったり、単独で劇場デビューしたAVさんが自縛となったりしていったわけだ。
そんなわけで「オサダゼミナール」から独立した私は「自縛」という演目でショーをするようになるのだが、独りでは「縛って」「ロウソク」やって「鞭」使って、くらいしかやりようがない。そこで私はストーリーをつけた内容でやることにした。
1作目は「ディアボリック幻想曲」と名付けた。原作はない。人の心の裏表の話。これは少なからず出会ったマニアたち(私も含めて)は、表の顔と裏「SM愛好者」という顔がある。そんな心の内面を表現できたら、と思った。
この表現方法をいろんな人に相談していたが、以前にピンク映画と芝居を融合させた「実演付きピンク映画上映」があった、ということがヒントとなり、冒頭にイメージビデオを作りそこからスタートさせることにした。
当時私は映画をよく見ていた(子供の頃から好きであったが)。映画も実験的な作品や、マニアック的な作品が多かった。なので大まかなプロットを作り、作品撮りのつもりでビデオ撮影をした。協力は濡木痴夢男氏率いる「緊縛美研究会」のスタッフ。自縛デビューが決まった1989年9月頃の撮影である。
白の天使と黒の悪魔(これはクラシックバレエ「白鳥の湖」にあるよう普遍的ですな)。日常の顔が白。性癖が黒。交互に入れ替わる心。抽象的なビデオ映像から始まり(曲はベートーベン「月光」)、映像終わりに白の私が登場し、踊る。
そして黒のロープで自縛<菱形縛り>。鞭打ち。この鞭打ちは何か意味ずけしたくて考えていた。自分で自分を鞭するなんて変だから。いろんな本を読んでいるうちに気付いた。キリスト教徒の自らの罪を諌める鞭に。自分の性欲を諌めるのだ。
この時に映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973年)を思い出した。キリストを描いたロックオペラ。この中に「39回の鞭打ち」の音が描かれていて、これを使うことで面白い効果が出るのではないか、と思い採用した。
そして逆さ吊り、ロウソク。
吊りは長田英吉氏から木製の2連滑車を譲り受けた。2連になっている滑車を2つ繋いでいるので、実質4分の1の重さで引っ張れる。逆さ吊りは両足縛りではなく、片足での吊りにした。この方がいろんなポーズができるから。縛り方を色々模索し、自分の足首を痛めないよう考える。
しかし実際にステージで1日4回をやると、足首と手のひらに腫れと痛みがで、デビュー時の週では、足首にサポーター、支える手には黒革のグローブをはめた記憶がある。
ロウソクは、浅草橋にある「東京ロウソク製造(株)」で作っていた和型の低温蝋燭。当時は蝋燭職人が本当の和蝋燭のように手作業で作っていた(貴重な蝋燭なのでまだ使わずに持っている)。それを逆さ吊りになりながら垂らす。のちに、このステージを観てくれた日本舞踊の大先輩が「ロウソクの後ろに手が付いてたら面白いわね」なんて意見を言ってくれ、即採用。蝋燭を垂らしながら、その模造の手で愛撫する、というシーンを入れた(その大先輩は進駐軍の慰問をしたことがある、という方でショーということがわかっている人であった)。
ラスト切腹シーン。表と裏の心は一体となり、最期に歓喜の死を選ぶ、という設定。曲はマーラーの第5番から「アダージェット」。正直、私は切腹マニアではない、と思っていた。単に演技、儀式に「面白い」と感じて興味を持ち始めていたのだが、劇場でずっと「死」と向き合っていると、感情が少しずつ変わってきた。「歓喜の死」の設定に気持ちよくなっていったのだ。そして切腹シーンに突入することを心待ちにするようになっていった。
さて、長田英吉氏が社長となった「鶴見新世界」では思いっきり実験をし、ビデオスタートとしたものの、やはり、自分でも違和感を感じ出していた。そこで冒頭部分を「黒の踊り」に変更するべく考え出していた。この時に相談したのが、舞踏集団「山海塾」の創立メンバー滑川五郎氏であった(滑川氏とは長田氏の紹介ですでに会っており、舞踏のワークショップに参加していた)。
衣装は持っていたクラシックバレエの黒のチュチュと黒のトウシューズ。裏表ということで「鏡」を使いたかった。どう鏡を使うか。考えていると雑貨屋に木製の小ぶりな椅子を見つけた。背もたれもついている。お、これだ。この椅子に鏡を貼ろう。
何か思いつくと、トントン拍子に物事は進む。ゴミ置き場にあった割れたガラス。それを即座に持ち帰り、椅子に貼り付けた。
そして滑川氏に振り付けをしてもらい、冒頭の「黒(椅子)の踊り」ができた(曲はツィゴイネルワイゼン冒頭部)
この作品は原作が無いぶん、私の原点である。これ以降いろんなショーを作ってきたが、考え方はこの作品とほとんど変わっていない。
http://ag-factory.sakura.ne.jp/
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