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パフォーマンスいわれ9「サディスティックサーカス2」

2006年。私は2回目となるサディスティックサーカスに出演。お客様の熱い視線が忘れられない。ストリップ劇場で演るよりももっと熱い視線を感じる。即興タイプのショーよりも、もっとお客様の脳裏に残るものを演じようと思った。そこで私が大事にしている演目のひとつである「サロメ」を演ることにした。

ご存知の方も多いと思うが、イギリスの劇作家オスカーワイルドの戯曲「サロメ」。私が初めて読んだのは20代前半だった。聖書の1行から構築したと言うこの作品は、とても印象深く、私の心に刻み込まれた。

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これまでにもオペラ、演劇、三島由紀夫演出や、スペイン舞踊長嶺やすこ、映画など数多く製作されているが、どの作品もオスカーワイルドの原作からあまりはみ出ていない。著名人たちは冒険することが難しい。しかし、超アングラな私がやるのなら、何か新しい視点があるはずだ、と考えていた。

早乙女流「サロメ」を初だししたのは1993年。ストリップ劇場でだ。構成は当時協力してもらっていた演出家と相談し、「ヨハネの首を取った所からスタートしよう」と決めた。つまり、オスカーワイルドがラスト、とした所からのスタートだ。首を取ったサロメはその後どうしたか。

ストリップ劇場用だったのでSM(自縛)要素、全裸という決まりごとがある。そこで「ヨハネの首との交わり」をメインにした(ストリップで生首との絡みというのもひどいね)。その当時に知り合った蝋人形作家に、舞台用のヨハネの首制作をお願いした(私が支払える額は微々たるものなので紙粘土製である)。そして自害用の刀も日本刀ではないと思い、劔の感じをイメージし制作した。

フォーカス1993、1

(写真:1993年新潮社フォーカス)私はその「サロメ」をやり続けている。やるごとに少しずつ曲や踊りを変えているが、全体の流れは変えていない。2006年のサディスカもこの「サロメ」で行った(もちろん全裸ではないが)。

構成  

シーン1:ナレーション「ヨカナーン。お前は私を見なかったね。この王女サロメを。私はお前を見つめていると、神秘の音楽が聞こえてきたのに。だけどもう遅い。お前は私だけしか見ることができないのだから」

首を大皿にのせ(首は別珍の布で覆われている)サロメ登場。センターに大皿をおく。

シーン2:サロメ、布をとる。ヨハネの首。まだ血が滴っている。ヨハネの首を目の前にサロメは「7枚のベールの踊り」を踊る。祈りから始まるも、次第に狂喜乱舞となりヨハネに迫っていく。

シーン3:大皿に溢れているヨハネの血に浸っているロープ。そのロープを手に取り、サロメは自分を縛っていく。

セリフ「お前の血が私を濡らす」

そして蝋燭。血のような真紅の蝋涙。

セリフ「お前の血はなんて熱いんだ」

サロメの高揚はさらに高まっていく。

シーン4:ついにサロメはヨハネの首に口づけをする。サロメの欲情は止まるところを知らず、首を抱きしめ、首と濃厚な交わり。女性上位、正常位となり、エクスタシーを迎えたサロメは半狂乱。ついに自分は悪魔と結ばれたと思う。笑い出すサロメ。

セリフ「聖者ヨハネよ。お前はもうこれで神の国へ行くことができないのだ。なぜだかわかるか、ヨカナーン。そう、私とこうなったからには地獄に行くのだ。でもヨカナーン。決してお前ひとりでは行かせやしない。そう、このサロメと一緒。ヨカナーン、、、。それがお前と私の定めなのだから」

シーン5:サロメ、ヨハネの首を前に劔で腹を刺す。そしてヨハネの首を腰に吊るす。劔を手に逆さ吊り。逆さのままとどめを刺す。天から救いの声が聞こえてくる。地獄か天か。サロメ、逆さのまま絶命。

暗転

約15分のステージ。「シーン4」からの重要シーンでの曲は、初回から変えていない。日本のプログレバンド「ページェント」の「エプローグ」という曲。壮大な曲からラストはインドの宗教曲へと繋がっていく。この曲の流れでしか考えられないほどピッタリなつながりだと思っている。

私はこの「サロメ」の演出が好きで、今でもやることがあるが、次のバージョンのビジョンが頭に浮かんでいる。もうひとつ、物語に踏み込んだ作品となる予感がする。近いうちに仕上げて、披露したいものだ。


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