思い出のフロアーショー 2
1993年頃から始めたフロアーショー。それまでの私はショー経験はあるものの、そのショーはSMショーであった。ダンスとはほとんど関係ない(体の柔軟性は役に立つが)。子供の頃からバレエを習い、将来の夢は「ダンサー」だったので、フロアーショーの仕事はまさに夢が叶ったようであった。グランドキャバレーでの生演奏でのダンス。本当に興奮した。体が覚えているステップが自然と出てくる。アクトの時間も忘れるほど、ダンスを楽しんでいた(もちろん今の手数が多いダンスではない。クラシック的である)。
このフロアーショーは、ショータイム以外の時間は、ほとんどの店が「ホステス」兼である。グランドキャバレーは違う。きちんと「演者」として扱ってくれる。演者は、ステージのことだけを考えていれば良いが、ホステスとなると、ちとわけが違う。なので、各地へ行くたびにいろんな思い出ができるわけだ。人間関係が複雑になってくる。
愛媛県宇和島。高知県窪川、中村。と回った思い出は強烈だ。
宇和島、大箱キャバレー「銀馬車」。当時ホステスさんは、フィリピーナと大御所の日本人ホステスさんたち。私はまだ多少鼻高だった。「ステージ側の人間」としての意識が高かった。しかしここではそれが通用しない。客席について、ただニコニコしていると「アナタ、お酒飲めるなら飲みなさい」「ボトル空けて」「フルーツぐらい頼みなさい」とにかく売上協力に厳しかった。そして店のラストまで残された。今となっては、事情もわかるので理解できるが、当時は本当に辛かった。私は人見知りが激しいので、ホステスには向かない。たった2日間の仕事だったが、この辛さは強烈に覚えている。のちにストリップ劇場の先輩踊り子にこの話をすると、「あー、あそこは嫌なところよね。私もいじめられた」と話していた。
窪川は、のんびりとした町。「大都会」というクラブ。社長さんは気さくで、ホステスさんたちも良い人たちであった。町中のマッサージなども通い4日間のんびりと過ごした。ここで私の主演したピンク映画を観た、という人に出会った。
1日休みがあったので、私は日帰りでバスに乗り、足摺岬まで出た。海面が美しく、リフレッシュとなったが、やはり誰とも会話がないのは寂しいものだ。
そして中村。6日間の仕事。旅の最後だ。クラブ「ローラン」。フィリピーナと日本人ホステスさん。ここではかなりなボディタッチが見受けられる。ホステスさんは皆気さくであったが、フィリピーナの一人が大酒飲みだった。口開けから一人、日本酒をがぶ飲みしていた。陽気な良い子だったが、ちょっと不安に思い「アナタなんでそんなに飲むの?お酒好き?」なんてつい聞いてしまった。すると、「日本人オトコ、スケべね。だからワタシ飲む」。この返答に私は心打たれた。皆んないろんなことを思いながら仕事しているんだ。そうか、私もみんなと一緒になって頑張らないといけないんだ。ここで初めて、「ダンサー」と「ホステス」と区別するのは間違いだと、気付いた。そしてこの店で、日本人の一人のホステスさんと、ウマがあい、日中に四万十川中腹あたりへドライブに出た。いやー、綺麗な河だ。「こんなもんじゃないよ。上流へ行ったらもっと綺麗だよ」。フロアーショーとは、と実感した旅コースであった。
一方、フロアーショーの演出、ということを勉強させてもらったのは、北海道帯広の大箱クラブ(「タイガー」だったかな)。ここも大きなショーを入れて名の知れた店であった。1990年代半ば頃だったか。ママ一人で仕切っていた。大箱を仕切っているだけあって、さっぱりとした男勝りの性格であった。
20日間のコース。同じ店での長期は初めてのことであった。私のステージを見るなり、ダメ出しの嵐だった。「あなたの化粧、来た時とステージ変わらないじゃないの。もっとちゃんとしなさい。口紅は赤」「衣装やアクセサリー、もっと派手にしなさい。キラキラ光るものね」「日舞やるなら、多少の日舞じゃダメなの。ステージの日舞は、チントンシャン、なんてやったって(女型の首の回し方。首を右に傾げチン、左へ傾げトン、左の首をもう一つ前へ突き出しシャン)、誰も観ないわよ。日舞やるならこうよ」そう行ってママはステージへ上がり、いきなり男踊りを始め、豪華な着物の股を割った。
この時初めて、私のアングラ思考ではこの仕事は務まらない、とはっきり思い知った。ストリップ劇場では「個性」ということで、良しとされていたアングラ演出はやはり舞台、照明が整っているからこそ成り立つのであった。フロアーショーはやはり誰が観ても「きれい」と思うものでなければダメなのだ。
ママは名取で、ステージで踊っていたこともあるそうだ。だからこそのアドバイスであった。ここでも一人の日本人ホステスさんと仲良く話すようになった。年下であったと思うがなんでもズバズバと物を言う、頼もしいタイプであった。「アナタさ、始め全然踊れなかったじゃない。大丈夫?この人、と思ったけど、踊れるようになったじゃない」こんなことを言われてしまった。でも、その言葉を真摯に受け止め、私はフロアーショーの勉強を重ねて行った。
続く
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